2014年06月26日
おさらい色々
6月10日(火)
3週間振りに先生の稽古が再開した。
下痢のせいか少し痩せたようで、先生思いの生徒である私としては、このままリバウンドのない事を祈らずにはいられない。
「調子が悪かったからかな、ちょっと痩せたみたい。もう大丈夫ですか?」と声を掛けると、「バガン行って、マンダレー行って、忙しくて大変だったからね。・・・ああ、アマ、連絡出来なくて御免ね。ずっと掛けてたんだけど、郊外のホールとかじゃ、電話が繋がらなくって・・・・・」と、オバサンとは違って恥じらいを忘れない先生は、さりげなく下痢の話題を避けた。
今日からは、おさらいをしつつ新しい曲をやる予定でいたのだが、先生が持参したCDをプレイヤーが読み込めず、新曲は断念。最初から最後まで、カイン・ドンのおさらいに終始した。
カイン・ドンしか練習しなかったのに、私が振り付けを忘れていたのと、先生が振り付けを忘れて・・・、いえ、変更したのとで、おさらいが1日では終了せず、明日も引き続きカイン・ドンを練習する事となった。
「先生、6月で、私がミャンマー・ダンスを習い始めて1年ですよ。去年の手帳を見たら、6月4日からスタートしてました」
稽古が終わってそう言うと、「うん、僕も言おうと思ってた。最初は4人いたのに、アマ、1人になっちゃったね。良く頑張ってるよ」と先生。
「まだ飽きないの?」と笑いながら訊かれたので、「私は気が長いんですよ。ただ、踊っても踊っても上手くならないので、時々、がっかりしますけどね」と答えると、優しい先生は、「アマは曲の理解がまだ足りないからね。でも、アカ・クナミョーとクナトゥリーが終わる頃には、きちんと踊れる様になってるよ」と慰めてくれた。
ほろっとしかけた私は、その後、これで何度目かのアカ・クナピャー・アヌー・ピンニャーに対する先生の熱弁を、タオルを水筒を握り締めたまま、直立不動の姿勢で拝聴する事になったのだった。
6月11日(水)
昨日からの続きでカイン・ドンの練習をしていると、遅れてニャン先生がやって来た。
どうしたのかと思っていたら、私の動画を撮るために来てくれたのだと言う。
「おさらいが終わった踊りから順番に撮ってくからね」
先生はにこやかに言ったが、私の背中には幾筋もの冷たい汗が流れていた。
躊躇していても仕方がないのでカイン・ドンを踊る。が、踊ってはみたが、案の定、撮り直しの連続である。
「さっきは綺麗に踊れてたのに・・・・・」と、溜息を付く先生。
済まないとは思うのだが、私は極端にプレッシャーに弱い。きちんと踊ろうとすればするほど、ずぶずぶと泥沼に沈んで行く。
おまけに一度撮り終える毎に、ニャン先生と二人、本人を前にして動画を確認しながら、「ここは合ってる、でも・・・・」とか、「ここはやっぱり外れてるな」とか、眉間に皺を寄せて協議をしてくれるのである。
その後、“5番目のここがね”みたいな協議結果を聞かされる私の気分は、13階段を登る囚人のそれに近いものがある。
カイン・ドンの後はシィー・ミー・コェ、それからパカン・コー・ヂィー・ヂョウを踊った。そして、それらも皆、ドンと同じように動画を撮った。
最終宣言は“今度、改めて撮り直し”。今日は一体、何回13階段を登った事だろう。
・・・・・本人はもっと辛いんで、そう言う顔、止めてくれないかな、先生。
6月18日(火)
カイン・ドンはどうにか御目溢しとなったが、先週、あまりに出来が悪かったので、パカン・コー・ヂィー・ヂョウのおさらいアゲイン。
休憩代わりにシィー・ミー・コェ、それにバガン・カと、ゆっくりした曲を何度か踊る。
シィー・ミーは間違いの割りには、それほど小言を聞かずに済んだが、バガンは一生懸命踊っているのだが駄目で、「綺麗じゃないねぇ」を連発される。
先生は私のシィー・ミーの最後のポーズが気に入っているようで、途中は兎も角、これだけはいつも褒めてくれる。
しかし、「バガンもシィー・ミーみたいに踊って」と言われても、この2曲、何が違うんだか、何が似てるんだか、私には良く解らないんだけどなぁ・・・・・・・・
6月19日(水)
今日もまた、パカン・コー・ヂィー・ヂョウ。
泣き言を言いたくはないが、本当に踊れない。スタミナがもたないので、最後のジャンプ・ターンが何度やっても遅れてしまって決まらないのだ。
何度か踊ると幾ら休憩しても疲労が抜けず、ターンと共に尻餅を付く始末。私の胸にはどうやら、ウルトラマンのタイマーと同じ物が着いているらしい。
あまりにも踊れないので先生もオリジナルの振り付けを諦めたらしく、決めを何パターンか考えてくれて、それで一応の決着を見た。
だが、今度は簡単になった分、カウントが余ってタイミングがずれ、3回に1回成功すれば良い方である。
「他は良くなってきたのにパカンがねぇ。踊りが理解出来てきたから、前ほど色々言わなくても良くなったけど、パカンだけがねぇ・・・・・・」
今日もまた、私のパカンには納得が行かないとの御宣託である。
・・・・・くっそぉ~、いつか必ず、オリジナル・ヴァージョンで最後が決められるようになってやる!!
6月21日(土)
夏休みと先生の出産とで、バレエのレッスンが長期の休みに入ってしまった。
再開は早くても9月。でも、彼女の事だから、10月の再開ですら怪しくて溜息が出るが、嘆いてみたところでどうなるものでもない。
休みの間に他のクラスを入れるつもりはないらしく、スタジオが空いているようなので、バレエが再開するまで、土曜日にもう1コマ、ミャンマー・ダンスを入れてもらう事にした。
先生は二つ返事で承諾してくれて、「それなら火・水は新しい踊りにして、土曜日は古い曲のおさらいをしよう」と、機嫌も良さそうだった。
そして、今日は初めての土曜日の稽古。先生は学生を2人連れて来た。1人はゾウ・カを一緒に練習していた2年生、もう1人は初めて見る1年生である。
このところ2年生の子を見ないなと思っていたのだが、良く考えたら新学期が始まっている。来なくて当然だった。
2人の学生は先生と同じく大学の寮住いらしいが、折角の土曜日に先生のお供をして来るなんて、若いのに暇を持て余しているのだろうか。
先生曰く、大学では基礎や一つ一つの踊りに時間を掛けるので、次から次へと新しい曲を教えてもらえる私を、彼等は羨ましがっていると言う。
だがこれは、あくまでも先生曰く(学生達は殆ど口を利かない)なので、どこまで本当かは解らない。
まぁ、何にせよ、金の卵かも知れない学生達を粗末に扱う訳には行くまい。それなら暇な時はここに連れて来て、一緒に教えてあげたらどうですかと提案しておいた。
さて、今日のおさらいだが、シンドォ・ピャインからスタートした。
唐突に踊ってみてと言われも、踊れる筈がないと私は思うのだが、この至極当前の結果に先生は、眉を顰めて頸を振った。
気を取り直して、2年生のお兄ちゃんと私とを並べて座らせ、振り付けを説明し始めたのだが、シンドォ・ピャインを初めて習う彼は私に輪を掛けて踊れず(これも当前である)、何だかうやむやな感じでOKとなった。
次にゾウ・カを踊り、シィー・ミーを踊り、パカンを踊り、最後にカイン・ドンを踊った。
お兄ちゃん達は一緒に踊ったり踊らなかったり、先生に言われて動画を撮ったりしていたが、私の休憩中にはパカンを教わっていた。
下手だったし、息が切れていたし、17、8の男の子でもパカンを通しで踊ると、最初はこんなものなのねと安心した。
彼らの踊りに比べれば、私の踊りの方がまだマシだったせいだろう、先生、今日は採点が甘く、パカン以外はOKを出してくれた。
そして当然のことながら、学生達のお母さんと同世代であろう私は、見るからに疲れ切っていたのだと思う。
エナジー・ドリンクと共に、「今日はもう何もしないで、ゆっくり休んでね。ちゃんとご飯を食べなきゃ駄目だよ」と、労わりの言葉を頂戴したのであった。
3週間振りに先生の稽古が再開した。
下痢のせいか少し痩せたようで、先生思いの生徒である私としては、このままリバウンドのない事を祈らずにはいられない。
「調子が悪かったからかな、ちょっと痩せたみたい。もう大丈夫ですか?」と声を掛けると、「バガン行って、マンダレー行って、忙しくて大変だったからね。・・・ああ、アマ、連絡出来なくて御免ね。ずっと掛けてたんだけど、郊外のホールとかじゃ、電話が繋がらなくって・・・・・」と、オバサンとは違って恥じらいを忘れない先生は、さりげなく下痢の話題を避けた。
今日からは、おさらいをしつつ新しい曲をやる予定でいたのだが、先生が持参したCDをプレイヤーが読み込めず、新曲は断念。最初から最後まで、カイン・ドンのおさらいに終始した。
カイン・ドンしか練習しなかったのに、私が振り付けを忘れていたのと、先生が振り付けを忘れて・・・、いえ、変更したのとで、おさらいが1日では終了せず、明日も引き続きカイン・ドンを練習する事となった。
「先生、6月で、私がミャンマー・ダンスを習い始めて1年ですよ。去年の手帳を見たら、6月4日からスタートしてました」
稽古が終わってそう言うと、「うん、僕も言おうと思ってた。最初は4人いたのに、アマ、1人になっちゃったね。良く頑張ってるよ」と先生。
「まだ飽きないの?」と笑いながら訊かれたので、「私は気が長いんですよ。ただ、踊っても踊っても上手くならないので、時々、がっかりしますけどね」と答えると、優しい先生は、「アマは曲の理解がまだ足りないからね。でも、アカ・クナミョーとクナトゥリーが終わる頃には、きちんと踊れる様になってるよ」と慰めてくれた。
ほろっとしかけた私は、その後、これで何度目かのアカ・クナピャー・アヌー・ピンニャーに対する先生の熱弁を、タオルを水筒を握り締めたまま、直立不動の姿勢で拝聴する事になったのだった。
6月11日(水)
昨日からの続きでカイン・ドンの練習をしていると、遅れてニャン先生がやって来た。
どうしたのかと思っていたら、私の動画を撮るために来てくれたのだと言う。
「おさらいが終わった踊りから順番に撮ってくからね」
先生はにこやかに言ったが、私の背中には幾筋もの冷たい汗が流れていた。
躊躇していても仕方がないのでカイン・ドンを踊る。が、踊ってはみたが、案の定、撮り直しの連続である。
「さっきは綺麗に踊れてたのに・・・・・」と、溜息を付く先生。
済まないとは思うのだが、私は極端にプレッシャーに弱い。きちんと踊ろうとすればするほど、ずぶずぶと泥沼に沈んで行く。
おまけに一度撮り終える毎に、ニャン先生と二人、本人を前にして動画を確認しながら、「ここは合ってる、でも・・・・」とか、「ここはやっぱり外れてるな」とか、眉間に皺を寄せて協議をしてくれるのである。
その後、“5番目のここがね”みたいな協議結果を聞かされる私の気分は、13階段を登る囚人のそれに近いものがある。
カイン・ドンの後はシィー・ミー・コェ、それからパカン・コー・ヂィー・ヂョウを踊った。そして、それらも皆、ドンと同じように動画を撮った。
最終宣言は“今度、改めて撮り直し”。今日は一体、何回13階段を登った事だろう。
・・・・・本人はもっと辛いんで、そう言う顔、止めてくれないかな、先生。
6月18日(火)
カイン・ドンはどうにか御目溢しとなったが、先週、あまりに出来が悪かったので、パカン・コー・ヂィー・ヂョウのおさらいアゲイン。
休憩代わりにシィー・ミー・コェ、それにバガン・カと、ゆっくりした曲を何度か踊る。
シィー・ミーは間違いの割りには、それほど小言を聞かずに済んだが、バガンは一生懸命踊っているのだが駄目で、「綺麗じゃないねぇ」を連発される。
先生は私のシィー・ミーの最後のポーズが気に入っているようで、途中は兎も角、これだけはいつも褒めてくれる。
しかし、「バガンもシィー・ミーみたいに踊って」と言われても、この2曲、何が違うんだか、何が似てるんだか、私には良く解らないんだけどなぁ・・・・・・・・
6月19日(水)
今日もまた、パカン・コー・ヂィー・ヂョウ。
泣き言を言いたくはないが、本当に踊れない。スタミナがもたないので、最後のジャンプ・ターンが何度やっても遅れてしまって決まらないのだ。
何度か踊ると幾ら休憩しても疲労が抜けず、ターンと共に尻餅を付く始末。私の胸にはどうやら、ウルトラマンのタイマーと同じ物が着いているらしい。
あまりにも踊れないので先生もオリジナルの振り付けを諦めたらしく、決めを何パターンか考えてくれて、それで一応の決着を見た。
だが、今度は簡単になった分、カウントが余ってタイミングがずれ、3回に1回成功すれば良い方である。
「他は良くなってきたのにパカンがねぇ。踊りが理解出来てきたから、前ほど色々言わなくても良くなったけど、パカンだけがねぇ・・・・・・」
今日もまた、私のパカンには納得が行かないとの御宣託である。
・・・・・くっそぉ~、いつか必ず、オリジナル・ヴァージョンで最後が決められるようになってやる!!
6月21日(土)
夏休みと先生の出産とで、バレエのレッスンが長期の休みに入ってしまった。
再開は早くても9月。でも、彼女の事だから、10月の再開ですら怪しくて溜息が出るが、嘆いてみたところでどうなるものでもない。
休みの間に他のクラスを入れるつもりはないらしく、スタジオが空いているようなので、バレエが再開するまで、土曜日にもう1コマ、ミャンマー・ダンスを入れてもらう事にした。
先生は二つ返事で承諾してくれて、「それなら火・水は新しい踊りにして、土曜日は古い曲のおさらいをしよう」と、機嫌も良さそうだった。
そして、今日は初めての土曜日の稽古。先生は学生を2人連れて来た。1人はゾウ・カを一緒に練習していた2年生、もう1人は初めて見る1年生である。
このところ2年生の子を見ないなと思っていたのだが、良く考えたら新学期が始まっている。来なくて当然だった。
2人の学生は先生と同じく大学の寮住いらしいが、折角の土曜日に先生のお供をして来るなんて、若いのに暇を持て余しているのだろうか。
先生曰く、大学では基礎や一つ一つの踊りに時間を掛けるので、次から次へと新しい曲を教えてもらえる私を、彼等は羨ましがっていると言う。
だがこれは、あくまでも先生曰く(学生達は殆ど口を利かない)なので、どこまで本当かは解らない。
まぁ、何にせよ、金の卵かも知れない学生達を粗末に扱う訳には行くまい。それなら暇な時はここに連れて来て、一緒に教えてあげたらどうですかと提案しておいた。
さて、今日のおさらいだが、シンドォ・ピャインからスタートした。
唐突に踊ってみてと言われも、踊れる筈がないと私は思うのだが、この至極当前の結果に先生は、眉を顰めて頸を振った。
気を取り直して、2年生のお兄ちゃんと私とを並べて座らせ、振り付けを説明し始めたのだが、シンドォ・ピャインを初めて習う彼は私に輪を掛けて踊れず(これも当前である)、何だかうやむやな感じでOKとなった。
次にゾウ・カを踊り、シィー・ミーを踊り、パカンを踊り、最後にカイン・ドンを踊った。
お兄ちゃん達は一緒に踊ったり踊らなかったり、先生に言われて動画を撮ったりしていたが、私の休憩中にはパカンを教わっていた。
下手だったし、息が切れていたし、17、8の男の子でもパカンを通しで踊ると、最初はこんなものなのねと安心した。
彼らの踊りに比べれば、私の踊りの方がまだマシだったせいだろう、先生、今日は採点が甘く、パカン以外はOKを出してくれた。
そして当然のことながら、学生達のお母さんと同世代であろう私は、見るからに疲れ切っていたのだと思う。
エナジー・ドリンクと共に、「今日はもう何もしないで、ゆっくり休んでね。ちゃんとご飯を食べなきゃ駄目だよ」と、労わりの言葉を頂戴したのであった。
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01:01
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2014年06月25日
久々のマグタ・ダンス
6月4日(水)
昨日は急用が入って稽古をキャンセルした。
ミャンマー・ダンスを始めて1年、自分からキャンセルを申し出たのは初めての事で、仕方ないとは言え、ちょっと、いや、かなり残念である。
一昨日、連絡を入れた時には先生、「じゃあ、水曜日にね」と言って電話を切ったのだが、スタジオに現れたのは今日もニャン先生だった。
「あれ!?」と思わず素っ頓狂な声を上げると、草履を脱ぎながらニャン先生、「先生から聞いてない?」と笑った。
「全く、全然、何にも聞いてないよ」
「先生、下痢してるんだって。月曜日にマンダレーから帰って来てから、ずっと調子が悪いみたい」
「・・・あらまぁ、胃腸風邪、流行ってるもんねぇ。バガン行って踊り教えて、マンダレー行って試験受けて、疲れて風邪引いちゃったんだろうね、きっと。気の毒に」
「うん。外に出られる状態じゃないみたいで、今日もまだ、ここには行けそうにないって、急に電話が掛かって来た」
「そうなんだ、忙しいのに悪かったね。・・・・でも、そんなに調子が悪かったんなら先生、電話くれた時に言ってくれれば、今週は休みにしたのに」
月曜日からと言う事は、私がキャンセルの連絡を入れた時には既に具合が悪かった筈である。
まぁ、真面目な先生の事だから、今日までには治して、稽古に来るつもりでいてくれたのだろうが、早く言ってくれれば無欠席記録が延長出来たのに・・・・・・・
「僕なら、ダウンタウンから来たし、問題ないよ。でも、急だったから、CD持って来れなかった。ゾウの音楽入ってるやつ持ってる?先生はアマが持ってるって言ってたけど?」
「いや、ゾウ・カのCDはないよ、貰ってないもの。他のCDはあるけど、それも今日は持って来てない」
「じゃあ、どうしようか?音楽がないならゾウの続きは出来ないし、他の踊りの練習する?何かやりたいのある?」
・・・・・音楽なしでやりたいものと訊かれもなぁ。
・・・・・これで、カビャー・ロッとかって言ったら、嫌がられるのかな?
「なければないでも良いよ。今日の稽古はキャンセルにしても良いんだし」と、躊躇する私を見てニャン先生が言う。
「いやいや、わざわざ来てもらったのに、それはないでしょ。携帯に入ってる曲でも良いかな?音、小さいけど?」
「いいよ。何をやるの?」
「・・・う~ん、じゃあ、マガイ。忘れてると思うから」
「振り付け忘れてたら教えられないよ。僕、先生の振り付け知らないし。習った時にビデオは撮らなかったの?」
マガイの動画は撮った。が、持っているのは先生である。
先生はあちこちでそれを見せているようだが(恥ずかしいから止めてくれ~)、私はそれを通しでどころか、ほんの一部を、それも一度しか見たことがない。
「私の踊りはないけど、お手本の動画ならあるよ」
ゾウ先生@お兄ちゃん先生1号に頼んで、撮らせてもらった動画である。
彼は動画を撮られるのが好きで、頼めば、いや、頼まなくても撮らせてくれたから、彼が踊ったお手本動画なら何曲か携帯に入っているのだ。
こうして動画を確認しつつ、本日の稽古、マガイの練習が始まったのだが、しかし、何度踊ってもカウントが合わず、ニャン先生が仕切りと頸を捻る。
動画を見て踊り、動画を見ずに踊り、カウントを変えて踊り、振り付けを調節して踊り、何回踊ったんだか判らなくなった頃、「この踊り、間違ってる。音楽と合ってない。これは忘れて」と、動画を示しながらニャン先生。
「アマの踊りの方が正しい。ここ、曲調が切り替わるところ、ここでアヨウ・レッに入らないといけないのに、彼の踊りはそれがずれてる」
「うん、彼の踊り、ところどころ先生に教わったのとは違うよ。最初から知ってたけど、まぁ、大体の流れが判ればそれで良かったから」
「そんな事してたら混乱しちゃうよ。先生の振り付け、彼の振り付け、僕の振り付けって、3種類もある。アマは誰の振り付けを踊りたいの?」
「そりゃ、先生から習ってるんだから、先生の振り付けでしょ」
「じゃあ、僕が違う事を教えたら良くないよ。もう、止めとく?」
「えっ、いや、それは大丈夫だと思うよ。大体のところは覚えてるし、細かいところは先生自身も忘れてるだろうし、それに、どんな振り付けでも、踊れないよりは踊れた方が良いもの」
これで稽古中断か!?と焦ったが、私の言葉に納得してくれたらしく、ニャン先生、再び音楽を聴きながら、ところどころは実際に踊ってみたりしながら、暫くの間、振り付けを確認していた。
だが、確認を終えて数回、いや、十数回、稽古時間を大幅に延長して踊り続けたにも拘らず、「ストップ、今のところ、もう一度」を延々と繰り返し、結局、最後には、「駄目だ。やっぱり合わない。思い出せない」と呻いて終わった。
マガイが自力で踊れた例などない私には、何が合わないのか、どこが合わないのかすら判らない。こんなものだった様な気がしたのだが、ニャン先生にはどうしても腑に落ちなかったらしい。
「もう時間も過ぎてるし、アマも疲れてるから、今日はこれで終わりにするね。・・・・・ごめんね、きちんと教えられなくて」
「え、大丈夫だよ、練習になったし、忘れてたところも随分と思い出せたし」
突然謝られ、慌ててそう答えると、ニャン先生が頸を振った。
「いや、僕も長いことマガイは踊ってなかったから、どうしても思い出せなくて。満足の出来る内容じゃなかったから、今日はお金を払わないで。先生には僕が来なかったって言えばいいから」
驚いて思わずニャン先生を見詰めてしまったが、彼は構わず帰り支度を始めている。
「・・・・・いやいやいや、そんな訳には行かないでしょう。わざわざここまで来てもらって、時間も取らせてるのに」
「安い金額じゃないんだし、ちゃんと教えられなかったんだから、お金なんて貰えないよ」
「でもね、交通費だって掛かってるんだし・・・・・、じゃあさ、解ったから、せめて半分くらいは受け取ってくれない?」
そう言ってお金を差し出しても受け取ろうとせず、そのまま帰ろうとするので、次は腕を摑んでの押し問答である。
「申し訳なくってお金は受け取れないって」
「こっちこそ来てもらったのに、何にもなしじゃ済まないってば」
「でも、こんなんでお金貰ったら恥ずかしいから」
「急な事なのに、来てくれただけでも有り難いと思ってるの、私としては」
「そんな、僕、これ貰ったら、どうすればいいのか解らないよ」
「いいじゃん。今度、きちんとマガイを教えてくれればさ」
「でも、先生、来週からは稽古に来るよ?」
「いいって、いつだっていいから!」
「でも・・・・・」
「そんなに気になるなら、先生の暇な時にスタジオ借りとくから、気の済むまで教えてよ、ね?」
無理やりに握らせたお金が床に落ちた。
「私、拾わないからね。先生が持ってかないなら、このままにしとくから」
そこまでしてようやくお金を受け取って、“申し訳ない”を繰り返しながら、ニャン先生は帰って行った。
ニャン先生、欲がないのか、要領が悪いのか、何にしても踊り馬鹿だけに、踊りに対する矜持は見上げたものである。
彼みたいな若手ダンサーがたくさんいるのなら、明日のミャンマー・ダンス界も明るかろうと、オバサン、ちょっと胸を熱くしたのであった。
昨日は急用が入って稽古をキャンセルした。
ミャンマー・ダンスを始めて1年、自分からキャンセルを申し出たのは初めての事で、仕方ないとは言え、ちょっと、いや、かなり残念である。
一昨日、連絡を入れた時には先生、「じゃあ、水曜日にね」と言って電話を切ったのだが、スタジオに現れたのは今日もニャン先生だった。
「あれ!?」と思わず素っ頓狂な声を上げると、草履を脱ぎながらニャン先生、「先生から聞いてない?」と笑った。
「全く、全然、何にも聞いてないよ」
「先生、下痢してるんだって。月曜日にマンダレーから帰って来てから、ずっと調子が悪いみたい」
「・・・あらまぁ、胃腸風邪、流行ってるもんねぇ。バガン行って踊り教えて、マンダレー行って試験受けて、疲れて風邪引いちゃったんだろうね、きっと。気の毒に」
「うん。外に出られる状態じゃないみたいで、今日もまだ、ここには行けそうにないって、急に電話が掛かって来た」
「そうなんだ、忙しいのに悪かったね。・・・・でも、そんなに調子が悪かったんなら先生、電話くれた時に言ってくれれば、今週は休みにしたのに」
月曜日からと言う事は、私がキャンセルの連絡を入れた時には既に具合が悪かった筈である。
まぁ、真面目な先生の事だから、今日までには治して、稽古に来るつもりでいてくれたのだろうが、早く言ってくれれば無欠席記録が延長出来たのに・・・・・・・
「僕なら、ダウンタウンから来たし、問題ないよ。でも、急だったから、CD持って来れなかった。ゾウの音楽入ってるやつ持ってる?先生はアマが持ってるって言ってたけど?」
「いや、ゾウ・カのCDはないよ、貰ってないもの。他のCDはあるけど、それも今日は持って来てない」
「じゃあ、どうしようか?音楽がないならゾウの続きは出来ないし、他の踊りの練習する?何かやりたいのある?」
・・・・・音楽なしでやりたいものと訊かれもなぁ。
・・・・・これで、カビャー・ロッとかって言ったら、嫌がられるのかな?
「なければないでも良いよ。今日の稽古はキャンセルにしても良いんだし」と、躊躇する私を見てニャン先生が言う。
「いやいや、わざわざ来てもらったのに、それはないでしょ。携帯に入ってる曲でも良いかな?音、小さいけど?」
「いいよ。何をやるの?」
「・・・う~ん、じゃあ、マガイ。忘れてると思うから」
「振り付け忘れてたら教えられないよ。僕、先生の振り付け知らないし。習った時にビデオは撮らなかったの?」
マガイの動画は撮った。が、持っているのは先生である。
先生はあちこちでそれを見せているようだが(恥ずかしいから止めてくれ~)、私はそれを通しでどころか、ほんの一部を、それも一度しか見たことがない。
「私の踊りはないけど、お手本の動画ならあるよ」
ゾウ先生@お兄ちゃん先生1号に頼んで、撮らせてもらった動画である。
彼は動画を撮られるのが好きで、頼めば、いや、頼まなくても撮らせてくれたから、彼が踊ったお手本動画なら何曲か携帯に入っているのだ。
こうして動画を確認しつつ、本日の稽古、マガイの練習が始まったのだが、しかし、何度踊ってもカウントが合わず、ニャン先生が仕切りと頸を捻る。
動画を見て踊り、動画を見ずに踊り、カウントを変えて踊り、振り付けを調節して踊り、何回踊ったんだか判らなくなった頃、「この踊り、間違ってる。音楽と合ってない。これは忘れて」と、動画を示しながらニャン先生。
「アマの踊りの方が正しい。ここ、曲調が切り替わるところ、ここでアヨウ・レッに入らないといけないのに、彼の踊りはそれがずれてる」
「うん、彼の踊り、ところどころ先生に教わったのとは違うよ。最初から知ってたけど、まぁ、大体の流れが判ればそれで良かったから」
「そんな事してたら混乱しちゃうよ。先生の振り付け、彼の振り付け、僕の振り付けって、3種類もある。アマは誰の振り付けを踊りたいの?」
「そりゃ、先生から習ってるんだから、先生の振り付けでしょ」
「じゃあ、僕が違う事を教えたら良くないよ。もう、止めとく?」
「えっ、いや、それは大丈夫だと思うよ。大体のところは覚えてるし、細かいところは先生自身も忘れてるだろうし、それに、どんな振り付けでも、踊れないよりは踊れた方が良いもの」
これで稽古中断か!?と焦ったが、私の言葉に納得してくれたらしく、ニャン先生、再び音楽を聴きながら、ところどころは実際に踊ってみたりしながら、暫くの間、振り付けを確認していた。
だが、確認を終えて数回、いや、十数回、稽古時間を大幅に延長して踊り続けたにも拘らず、「ストップ、今のところ、もう一度」を延々と繰り返し、結局、最後には、「駄目だ。やっぱり合わない。思い出せない」と呻いて終わった。
マガイが自力で踊れた例などない私には、何が合わないのか、どこが合わないのかすら判らない。こんなものだった様な気がしたのだが、ニャン先生にはどうしても腑に落ちなかったらしい。
「もう時間も過ぎてるし、アマも疲れてるから、今日はこれで終わりにするね。・・・・・ごめんね、きちんと教えられなくて」
「え、大丈夫だよ、練習になったし、忘れてたところも随分と思い出せたし」
突然謝られ、慌ててそう答えると、ニャン先生が頸を振った。
「いや、僕も長いことマガイは踊ってなかったから、どうしても思い出せなくて。満足の出来る内容じゃなかったから、今日はお金を払わないで。先生には僕が来なかったって言えばいいから」
驚いて思わずニャン先生を見詰めてしまったが、彼は構わず帰り支度を始めている。
「・・・・・いやいやいや、そんな訳には行かないでしょう。わざわざここまで来てもらって、時間も取らせてるのに」
「安い金額じゃないんだし、ちゃんと教えられなかったんだから、お金なんて貰えないよ」
「でもね、交通費だって掛かってるんだし・・・・・、じゃあさ、解ったから、せめて半分くらいは受け取ってくれない?」
そう言ってお金を差し出しても受け取ろうとせず、そのまま帰ろうとするので、次は腕を摑んでの押し問答である。
「申し訳なくってお金は受け取れないって」
「こっちこそ来てもらったのに、何にもなしじゃ済まないってば」
「でも、こんなんでお金貰ったら恥ずかしいから」
「急な事なのに、来てくれただけでも有り難いと思ってるの、私としては」
「そんな、僕、これ貰ったら、どうすればいいのか解らないよ」
「いいじゃん。今度、きちんとマガイを教えてくれればさ」
「でも、先生、来週からは稽古に来るよ?」
「いいって、いつだっていいから!」
「でも・・・・・」
「そんなに気になるなら、先生の暇な時にスタジオ借りとくから、気の済むまで教えてよ、ね?」
無理やりに握らせたお金が床に落ちた。
「私、拾わないからね。先生が持ってかないなら、このままにしとくから」
そこまでしてようやくお金を受け取って、“申し訳ない”を繰り返しながら、ニャン先生は帰って行った。
ニャン先生、欲がないのか、要領が悪いのか、何にしても踊り馬鹿だけに、踊りに対する矜持は見上げたものである。
彼みたいな若手ダンサーがたくさんいるのなら、明日のミャンマー・ダンス界も明るかろうと、オバサン、ちょっと胸を熱くしたのであった。
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2014年06月25日
ゾウ・ヂィー・カ8
5月28日(水)
今日の稽古もニャン先生。これで2週続けてニャン先生の稽古である。
先生は来週には戻ると言うのだが、何だかもう、ニャン先生の細かい指導が快感になりつつあって、このままでも特に不満はないくらいだ。
飽きる事も、懲りる事も、そして、大して上達する事もなく、今日もまた、ゾウ・カとパカンの稽古である。
最近、左足の踵が痛むので、何が原因だろうと不思議に思っていたのだが、どうやらサゴォ・ワインの練習のせいらしい。
このところ、稽古の度にサゴォ・ワインの練習をしていたのだが、何せニャン先生の指導なので、同じ事を10回でも、20回でも、30回でも繰り返す。
大袈裟に説明すれば、サゴォ・ワインはしゃがんだ姿勢で右足を反時計回りに回し、左足で右足を跳び越える。要は地面擦れ擦れの回し蹴りみたいなものだが、コツの飲み込めていない私は、この練習の度に、ごんっ、がんっと、踵やら甲の横やらを床に打ち付けている。
ニャン先生、今日は何度も、「う~ん、何かが違う。何が違うのかなぁ。もう一回やってみて」と、今までで最多の繰り返し回数を記録し、お陰で足の痛みも倍増した。
ズキズキと痛む踵を騙し騙し、足腰に力が入らなくなるほどサゴォ・ワインを繰り返して、それで上手くなったのであれば報われるが、現実は厳しく、これだけやっても何とか理屈が理解出来ただけである。
・・・・・そっと拭った瞳には、蛍光灯の光が滲んで見えた。・・・と言うのは嘘ではない。ただ、汗が目に沁みて、蛍光灯の光が滲んだだけだが。
「そうそうそう、そんな感じ。それを素早く出来る様に、家で何回も練習する事だよ」との言葉で、やっとサゴォ・ワインから開放されたのだが、全てに亘ってこんな感じで、ニャン先生は兎に角細かく、そして厳しい。
ダンサーとしてもバリバリ現役プロのニャン先生は、踊り方だけでなく見せ方、つまり、観客の目を惹きつけるコツも事細かに説明してくれる。
足首の屈伸、腕の曲げ方に一つにしても、観客の目を惹くための工夫があり、タメの取り方、顔の向きや視線のちょっとした変化、“自分は次にこんな事をするんですよ”と言う、ちょっとしたアピールを加える事で、観客の目は惹けるものだと言う。
ニャン先生に実演して貰うと確かにそうなのだが、大半は、「そんなこっぱずかしい事が出来るか~」と、呻きたくなるような小技である。
感心したのは、ニャン先生が常に爪先立ちで踊ることを心掛けていると言うこと。
片足を上げる度に軸足は爪先立って伸び上がるのだが、このスキップ様の動きで上下にメリハリを付けるのは、躍動感を演出するのは勿論の事、小柄な自分を大きく見せるための工夫でもあるのだそうだ。
腕の動きや体の捻りと言った、他の動作も可能な限り大きく派手にして、花火のような、パチパチと爆ぜる火の粉のような、華やかな印象を観客に与えるようにしていると言う。
ミャンマー・ダンスでは四肢を伸ばしたポーズを取る事は少ない。女性の踊りでは皆無と言っても良さそうだし、男性の踊りでも相当に稀だろう。
四肢をクネクネと折り曲げ、全体に球状の、円に収まるようなポジションを取ることが多いので、余程上手くない限り、大柄な人よりは小柄な人の方がすっきりと纏って見栄えが良い。
バガンのような優雅な踊りでは長身や手足の長さもプラスになるのだろうが、いかにもミンダー・アカらしい、テンポの速い弾む感じの踊りでは、大柄なミンダーは野暮ったく見えるので、ニャン先生の小柄を逆手に取った、理に適った踊り方は流石である。
舞台を観る上では非常に参考になるので有り難いが、逆に舞台で踊る予定など皆無の私に、そんな見せ方の秘訣まで熱心に教えてくれるニャン先生って可愛いなと思う。本当に踊りが好きなんだろうなと思う。
まだ23歳だもの、彼の未来はまだまだこれから。若いっていいよなぁと、目を細めずにはいられないのだ、オバサンとしては。
今日の稽古もニャン先生。これで2週続けてニャン先生の稽古である。
先生は来週には戻ると言うのだが、何だかもう、ニャン先生の細かい指導が快感になりつつあって、このままでも特に不満はないくらいだ。
飽きる事も、懲りる事も、そして、大して上達する事もなく、今日もまた、ゾウ・カとパカンの稽古である。
最近、左足の踵が痛むので、何が原因だろうと不思議に思っていたのだが、どうやらサゴォ・ワインの練習のせいらしい。
このところ、稽古の度にサゴォ・ワインの練習をしていたのだが、何せニャン先生の指導なので、同じ事を10回でも、20回でも、30回でも繰り返す。
大袈裟に説明すれば、サゴォ・ワインはしゃがんだ姿勢で右足を反時計回りに回し、左足で右足を跳び越える。要は地面擦れ擦れの回し蹴りみたいなものだが、コツの飲み込めていない私は、この練習の度に、ごんっ、がんっと、踵やら甲の横やらを床に打ち付けている。
ニャン先生、今日は何度も、「う~ん、何かが違う。何が違うのかなぁ。もう一回やってみて」と、今までで最多の繰り返し回数を記録し、お陰で足の痛みも倍増した。
ズキズキと痛む踵を騙し騙し、足腰に力が入らなくなるほどサゴォ・ワインを繰り返して、それで上手くなったのであれば報われるが、現実は厳しく、これだけやっても何とか理屈が理解出来ただけである。
・・・・・そっと拭った瞳には、蛍光灯の光が滲んで見えた。・・・と言うのは嘘ではない。ただ、汗が目に沁みて、蛍光灯の光が滲んだだけだが。
「そうそうそう、そんな感じ。それを素早く出来る様に、家で何回も練習する事だよ」との言葉で、やっとサゴォ・ワインから開放されたのだが、全てに亘ってこんな感じで、ニャン先生は兎に角細かく、そして厳しい。
ダンサーとしてもバリバリ現役プロのニャン先生は、踊り方だけでなく見せ方、つまり、観客の目を惹きつけるコツも事細かに説明してくれる。
足首の屈伸、腕の曲げ方に一つにしても、観客の目を惹くための工夫があり、タメの取り方、顔の向きや視線のちょっとした変化、“自分は次にこんな事をするんですよ”と言う、ちょっとしたアピールを加える事で、観客の目は惹けるものだと言う。
ニャン先生に実演して貰うと確かにそうなのだが、大半は、「そんなこっぱずかしい事が出来るか~」と、呻きたくなるような小技である。
感心したのは、ニャン先生が常に爪先立ちで踊ることを心掛けていると言うこと。
片足を上げる度に軸足は爪先立って伸び上がるのだが、このスキップ様の動きで上下にメリハリを付けるのは、躍動感を演出するのは勿論の事、小柄な自分を大きく見せるための工夫でもあるのだそうだ。
腕の動きや体の捻りと言った、他の動作も可能な限り大きく派手にして、花火のような、パチパチと爆ぜる火の粉のような、華やかな印象を観客に与えるようにしていると言う。
ミャンマー・ダンスでは四肢を伸ばしたポーズを取る事は少ない。女性の踊りでは皆無と言っても良さそうだし、男性の踊りでも相当に稀だろう。
四肢をクネクネと折り曲げ、全体に球状の、円に収まるようなポジションを取ることが多いので、余程上手くない限り、大柄な人よりは小柄な人の方がすっきりと纏って見栄えが良い。
バガンのような優雅な踊りでは長身や手足の長さもプラスになるのだろうが、いかにもミンダー・アカらしい、テンポの速い弾む感じの踊りでは、大柄なミンダーは野暮ったく見えるので、ニャン先生の小柄を逆手に取った、理に適った踊り方は流石である。
舞台を観る上では非常に参考になるので有り難いが、逆に舞台で踊る予定など皆無の私に、そんな見せ方の秘訣まで熱心に教えてくれるニャン先生って可愛いなと思う。本当に踊りが好きなんだろうなと思う。
まだ23歳だもの、彼の未来はまだまだこれから。若いっていいよなぁと、目を細めずにはいられないのだ、オバサンとしては。
Posted by ASU at
19:37
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2014年06月25日
ゾウ・ヂィー・カ7
5月27日(火)
どうなるのかなぁと思っていたら、今日もお兄ちゃん先生、もとい、ニャン先生(ニャンコ先生みたいだ)がスタジオにやって来た。
今週はアウン先生、日本の奨学生試験をマンダレーで受けているとの事で、明日もニャン先生が来てくれるらしい。
因みに今日は友人のMさんが見学に来ていた。
レッウェイが気に入って、ジムに通うために再びヤンゴンを訪れたMさん、ミャンマー・ダンスも多少は気に入ってくれていて、こちらも再度の見学である。
今日も変わらずゾウ・カの練習だったが、静かなシィー・ミー・コェと違って、ミドル・テンポとは言えゾウ・カは激しい。
気が向いたら一緒に踊るかもと言っていたMさんだが、ゾウ・カは踊れそうにないので止めておくとのことだった。
そうだろうなぁと思う。流石に昨日は意を決し、自分の動画を鳥肌を立てながら観たのだが、あまりの下手さ加減に踊るのを止めたくなったくらいだ。
絶望的な気分になったが、それでもと言うのか、だからと言うのか、今日は気を取り直し、いつにも増して頑張ったつもりである。
振り付けも殆ど覚えたので、通しで曲に合わせて練習出来るようになったのだが、下手さ加減は変わらない。何でこんなに踊れないのだろう。
ただ、有り難い事に、ニャン先生は私の踊りが様にならない理由を細かく教えてくれる。
どうしてミンダー・アカらしく見えないのか、どうして綺麗に見えないのか、一つ一つを丁寧に説明してくれたが、最大の原因は足の上げ方、足を上げたポーズが間違っているからのようだ。
ミャンマー・ダンスの先生は皆、言い方が柔らかい。厳しいニャン先生も言葉遣いは非常に丁寧で、私が間違っていても、「そう踊る様に言われたの?」「そう踊るのが好きなの?」と、遠回しに確認から入る。
「僕はミンダーらしくてこっちが好きだけどね」と手本を示してくれる回りくどさで、今日は最初から最後まで足の上げ方を注意された。
太極でも前々から言われていたが、脚を上げる時、バレエの癖で私は膝を外へ向けてしまう。気を抜くと爪先が伸びてしまうし、膝から足を上げようとする。
ミンダー・アカでは、膝は開いても45度。足首は90度以内に曲げておかなければならないし、蹴り上げる調子で踵から足を上げる。
ニャン先生に言われるまま、ポーズを整えようと頑張るのだが、つくづく自分の足首の硬さが恨めしい。私の足首は90度以上には曲がらないので、腰が落とせず体が安定しないのだ。
それでも、間違いが何なのかが解ると、努力の仕様も出て来る。ミンダーらしいポーズが解ってくると、イメ・トレもし易くなる。
イメ・トレと言えば、「何か一曲、踊ってもらえませんか?」とのMさんのリクエストで、ニャン先生がターヤ・ラパを踊ってくれる事になった。
ターヤ・ラパの手本となる動画はなく、振り付けも怪しくなっていたので、これは嬉しいと携帯を構えてニャン先生の踊りを見せてもらった。
流石に全国のコンテストで最優秀賞を受賞するような人である。
手本どころか、同じターヤ・ラパでも私の習ったものとは桁違いに難しそうな振り付けで、見惚れてビデオを撮り損ねてしまった。
「大変そうな踊りだけど、全然、大変そうに見せないところがプロなんやろうねぇ」
そうMさんが感想を述べた通り、プロとはこう言うものかと感心する事頻りであった。
ニャン先生の踊りはメリハリが利いて切れがあるのに、一つ一つの動作は極めて丁寧、そして全く重さを感じさせない。重力制御装置でも着けているかのように軽い。
ミンダー・アカらしい、速いテンポの明るい曲が好きと言うだけあって、これで衣装を着けて踊ったら、本当にミンダーらしいミンダーだろう。
4歳から踊りを習っていたと言うから、23歳の今で既に20年近い経験がある訳で、大学に入ってから踊りを始めたと言うアウン先生よりも長い芸歴である。
アウン先生の優雅な踊り(先生はバガンやマガイのようなゆっくりした踊りが得意なんだと思う)とは異なるが、唸るほどに上手い。ヴィジュアルや好みを差し引いて、純粋に踊りだけを評価すれば、ポー・チッより上手いのではないだろうか。
稽古の終わり掛けにもう1曲、カイン・ドンを踊ってくれたが、カレンの人から直接習ったと言うオリジナルに忠実な振り付けで、言っては悪いが、アウン先生よりもずっと上手かった。
私が習った振り付けとはかなり違うと言うと、「先生が教えた通りに踊ってね。僕の踊ったヤツの動画は先生に見せないでよ」と釘を刺された。
ニャン先生は自分のカイン・ドンがアウン先生のそれより上手い事を知っているのだろう。
ミャンマーでも円滑な師弟関係を維持するためには、なかなかに気を遣う様である。
どうなるのかなぁと思っていたら、今日もお兄ちゃん先生、もとい、ニャン先生(ニャンコ先生みたいだ)がスタジオにやって来た。
今週はアウン先生、日本の奨学生試験をマンダレーで受けているとの事で、明日もニャン先生が来てくれるらしい。
因みに今日は友人のMさんが見学に来ていた。
レッウェイが気に入って、ジムに通うために再びヤンゴンを訪れたMさん、ミャンマー・ダンスも多少は気に入ってくれていて、こちらも再度の見学である。
今日も変わらずゾウ・カの練習だったが、静かなシィー・ミー・コェと違って、ミドル・テンポとは言えゾウ・カは激しい。
気が向いたら一緒に踊るかもと言っていたMさんだが、ゾウ・カは踊れそうにないので止めておくとのことだった。
そうだろうなぁと思う。流石に昨日は意を決し、自分の動画を鳥肌を立てながら観たのだが、あまりの下手さ加減に踊るのを止めたくなったくらいだ。
絶望的な気分になったが、それでもと言うのか、だからと言うのか、今日は気を取り直し、いつにも増して頑張ったつもりである。
振り付けも殆ど覚えたので、通しで曲に合わせて練習出来るようになったのだが、下手さ加減は変わらない。何でこんなに踊れないのだろう。
ただ、有り難い事に、ニャン先生は私の踊りが様にならない理由を細かく教えてくれる。
どうしてミンダー・アカらしく見えないのか、どうして綺麗に見えないのか、一つ一つを丁寧に説明してくれたが、最大の原因は足の上げ方、足を上げたポーズが間違っているからのようだ。
ミャンマー・ダンスの先生は皆、言い方が柔らかい。厳しいニャン先生も言葉遣いは非常に丁寧で、私が間違っていても、「そう踊る様に言われたの?」「そう踊るのが好きなの?」と、遠回しに確認から入る。
「僕はミンダーらしくてこっちが好きだけどね」と手本を示してくれる回りくどさで、今日は最初から最後まで足の上げ方を注意された。
太極でも前々から言われていたが、脚を上げる時、バレエの癖で私は膝を外へ向けてしまう。気を抜くと爪先が伸びてしまうし、膝から足を上げようとする。
ミンダー・アカでは、膝は開いても45度。足首は90度以内に曲げておかなければならないし、蹴り上げる調子で踵から足を上げる。
ニャン先生に言われるまま、ポーズを整えようと頑張るのだが、つくづく自分の足首の硬さが恨めしい。私の足首は90度以上には曲がらないので、腰が落とせず体が安定しないのだ。
それでも、間違いが何なのかが解ると、努力の仕様も出て来る。ミンダーらしいポーズが解ってくると、イメ・トレもし易くなる。
イメ・トレと言えば、「何か一曲、踊ってもらえませんか?」とのMさんのリクエストで、ニャン先生がターヤ・ラパを踊ってくれる事になった。
ターヤ・ラパの手本となる動画はなく、振り付けも怪しくなっていたので、これは嬉しいと携帯を構えてニャン先生の踊りを見せてもらった。
流石に全国のコンテストで最優秀賞を受賞するような人である。
手本どころか、同じターヤ・ラパでも私の習ったものとは桁違いに難しそうな振り付けで、見惚れてビデオを撮り損ねてしまった。
「大変そうな踊りだけど、全然、大変そうに見せないところがプロなんやろうねぇ」
そうMさんが感想を述べた通り、プロとはこう言うものかと感心する事頻りであった。
ニャン先生の踊りはメリハリが利いて切れがあるのに、一つ一つの動作は極めて丁寧、そして全く重さを感じさせない。重力制御装置でも着けているかのように軽い。
ミンダー・アカらしい、速いテンポの明るい曲が好きと言うだけあって、これで衣装を着けて踊ったら、本当にミンダーらしいミンダーだろう。
4歳から踊りを習っていたと言うから、23歳の今で既に20年近い経験がある訳で、大学に入ってから踊りを始めたと言うアウン先生よりも長い芸歴である。
アウン先生の優雅な踊り(先生はバガンやマガイのようなゆっくりした踊りが得意なんだと思う)とは異なるが、唸るほどに上手い。ヴィジュアルや好みを差し引いて、純粋に踊りだけを評価すれば、ポー・チッより上手いのではないだろうか。
稽古の終わり掛けにもう1曲、カイン・ドンを踊ってくれたが、カレンの人から直接習ったと言うオリジナルに忠実な振り付けで、言っては悪いが、アウン先生よりもずっと上手かった。
私が習った振り付けとはかなり違うと言うと、「先生が教えた通りに踊ってね。僕の踊ったヤツの動画は先生に見せないでよ」と釘を刺された。
ニャン先生は自分のカイン・ドンがアウン先生のそれより上手い事を知っているのだろう。
ミャンマーでも円滑な師弟関係を維持するためには、なかなかに気を遣う様である。
Posted by ASU at
19:27
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