2014年01月27日

稽古再開

 1月21日(火)

 長い休みが終わって、ミャンマー・ダンスの稽古が再開した。
 早いもので、去年の6月から習い始めたミャンマー・ダンスも、半年以上続けていることになる。
 7月に3週間、途中に2回休みで1週間、12月は丸々休みだったから、2ヶ月分の休みを差し引けば、実質は、・・・あれ、まだ5ヶ月しかやってない?
 飽き性のミャンマー人フレンズには「まだやってるの!?」と驚かれ、「トウドウ・ゴォ・ソエレーノォ~(“よく続くねぇ”的なニュアンス)」と先生にも感心されたけれど、実質的にはまだ5ヶ月なのだ。
 半年過ぎたら、そろそろ入門ってのも何だなと思っていたのだが、半年経ってないんじゃ、ヘタクソでも仕方ないじゃん。
 何て、ちょっと安心したりして・・・・・・ 

 さて、それでは改めて、
 長い休みが終わって、ミャンマー・ダンスの稽古が再開した。
 私がヤンゴンに戻ったのは正月明けの1月11日、土曜日の夜である。
 戻ったその日の内に先生にSMSメッセージを送り、翌日には電話を掛けるという気合の入りようだったのだが、SEAゲームは終わってもPARAゲームが開催されていて、式典パフォーマンスのため、先生は又してもネーピードゥだった。
 先生に一週間はヤンゴンに戻れないと言われたので、なまった体を立て直すべく、先ずはラウェイの稽古から習い事を再開した。

 ラウェイ復帰初日は月曜日。翌日、大した筋肉痛もなく、「どうって事ないじゃん?」と高を括っていたら、水曜日のストレッチとバレエの後、満身創痍の筋肉痛に呻く羽目となった。
 脹脛がパンパンに張ってしまい、階段の上り下りは勿論、トイレに入るのも一苦労。このままでは筋が切れかねないので、慌ててオイル・マッサージ(普段の指圧では拷問になってしまう)に駆け込んだ。
 バレエ、恐るべしである。
 オイル・マッサージで緩和され、木曜日、金曜日のラウェイで収まりかけた筋肉痛だが、土曜日の太極拳とバレエで見事なぶり返しを見せた。
 どんだけ体に負担が掛かってんの!?と、つくづくバレエが恐ろしくなる。
 だが、これが迎え筋肉痛となってピークを過ぎたらしく、指圧マッサージにも行ったので、一巡後の月曜日のラウェイの時には体中の殆どの痛みが消えていた。

 そして迎えた火曜日、満を持してのミャンマー・ダンス。体調は万端だったのだが、やはり、1ヶ月半のブランクは大きかった。
 12月半ばまではきちんと自主練をしていた。しかし、3週間の帰国中は家事に追われ、新幹線の中で曲を聴いただけ。
 ヤンゴンに戻ってからも筋肉痛で練習どころではなく、結局、稽古再開に向けての準備は、数度のイメージ・トレーニングのみである。
 重心移動が上手く行かず、上体はふらつくし、膝は笑うし、驚くほど腰が落とせなくなっていて、基本ポジションすら思うように定まらない。
 こんなに酷かったっけ?と、鏡に映る自分の姿に目を覆いたくなる。
 正視に耐えない無様さだが、それでも、振り付けの方は概ね覚えていて、半分は自分の都合で稽古が休みとなったせいもあるのだろう、先生も、「忘れてない、忘れてない。久しぶりで体が動かないだけで、大体は覚えてるよね」とにこやかなまま。
 ご機嫌を損ねた様子もなくて、そっと胸を撫で下ろす。
 まあ、しかし、バレエは兎も角、ラウェイや太極拳は休みの間にすっかり動作を忘れてしまい、動く事も出来ずに呆然としていたのだから、それに比べればミャンマー・ダンス、ずっとずっとマシである。
 バレエとミャンマー・ダンスに関しては、やはり、やる気が違うようだ。

 そんな、やる気満々のミャンマー・ダンス、稽古再開の初日は基本編第一段17種とマガイのおさらいだった。
 第一段の12番「パン・ワイン・ダウン・ゾエ」は掌の向きが以前とは違っていたし、マガイの「パン・ゴン・カウッ」はステップの数が変わっていた。
 他にも幾つか先生が忘れているところ、変わっている箇所があったが、この手の事は今に始まった事でもないので、適当に修正を入れて流すことにする。
 ただ、次のダンスはバガン・ダンスに変更されていて、11月に貰っていた課題曲は話題にも上らなかった。
 あの曲はこのままお蔵入りかも知れないと思うと、相当に難しそうではあったが、それでも、アヨウッ・カ好きの私としてはちょっと、いや、かなり残念である。
 今日のところはまだ前振りの段階だが、バガン・ダンスは跳んだり跳ねたりはしない。転がったりもしないし、カクカクもしない。
 バガン・ダンスは跳びも跳ねも転がりもしないし、カクカクもしないが、代わりにクネクネするのだ。
 先生は見とれるほどしなやかに体を動かしていたが、太極にしろバレエにしろ、私は今まで体幹を固定する訓練ばかりをしてきたので、腰やら肩やらをクネクネと動かすのは苦手である。
 苦手と言うより出来ないと言う方が正しい。泣きたいくらい、先生が失笑するくらい出来ない。
 それに、バガン・ダンスの衣装は、ツルツル・テカテカした安物のサテンで作られていることが多く、デコラティヴな被り物も、これ見よがしなアクセサリーの類も、いかにも紙っぽくって好きじゃない。
 ああ、何だか気が重い・・・・・・・・

 気が重いので話を変えるが、本日の先生のお供は先生の学生時代の同級生だと言う男性だった。
 マリオネットの先生で、大学で一緒に教えている同僚との事。踊りも踊れるそうだが、ちょろっと一緒に踊ってくれたのを見る限り、あまり上手だとは思えなかった。
 同級生と言うのだから先生と同じく三十そこそこの筈だが、先生よりさらに老けている。
 失礼な話、余裕(?)で五十近くに見えた。
 ミンダーの踊りはかなり過酷なので、学生の頃から筋肉痛を和らげるため、鎮静剤を常用していると言う(私も最初の頃は飲めと勧められた)。
 痛み止めを飲まないと稽古にならないからだそうだが、体を酷使するとやはり、老けるのが早いのかも知れない。
 この先生の友人に、「マリオネットは難しいですか?」と訊ねると、「難しくないよ」と即答された。
 隣から先生が、「踊りが踊れれば難しくない。動きが一緒だから」と補足を入れる。
 舞踊科の学生は誰でもマリオネットが操れるのだと、以前にも先生から聞いたことがあったが、体が思うように動かなくなったら、マリオネットに転向すると言う手もあるなと、老後の趣味の在り様についての一考察が頭を過ぎる。
 難しくないと言ったところで、程度の問題だろう。老後に楽しもうと思えば、今からボチボチと始めておくのが好いのかも知れない。
 ・・・・・どうしよう。これ以上、習い事を増やす暇とお金がない・・・・・・・・
  


Posted by ASU at 02:11Comments(0)