2013年11月28日

先生効果(2)

11月20日(水)

 本日の稽古もメインは変わらず、シンドウ・ミンダー。
 何度か通して踊って、どうにか流れに乗れるようになってきたところで、先生が携帯のビデオを構えた。
 しかし、カメラを向けられると、途端に緊張してガタガタになってしまうのが私の癖である。
 「ジンヨォダウンレッピッのところ、まだ、間違うねぇ」と、途中でビデオを撮るのを止めて、先生が溜息をつく。
 間違え易い箇所だから気を付けなきゃ、今度こそ間違えずに踊ってみせる、そう、思えば思うほど墓穴を掘る。
 「踊るときは何にも考えない。アマは踊れてるんだから、気持ちを軽くして、軽くして」
 どんよりと落ち込む私を慰めてくれた先生だが、新しい曲(Nyein Chan Bon)の前振りは諦めたらしい。

 休憩中に先生が一人で踊っている時は、新しい踊りの教え方を考えている時らしく、大抵の場合は後で、「はい、立って、一緒に踊って」が始まる。だが、今日は何回か一人で踊っていたにも拘らず、新しい踊りを教えてくれようとはしなかった。
 お兄ちゃんが踊って見せてくれたが、恐ろしく難しそうな踊りだったし、この先、1ヶ月以上も休みが入ってしまうのに新しい踊りなど教えてもらっても、どうせ忘れてしまうのがオチなのだが、Nyein Chan Bonは憧れの踊りなので、ちょっとだけ残念な気がする。

 「レッナウッピッ12回の後は、基本通りに一旦後で腕を止める。それから手を収めてジンヨォダウンレッピッ。肘上げて!基本のアングルで!」
 新しい踊りを諦めたからか、シンドウ・ミンダーの指導が次第に細かくなってくる。
 「ジンヨォダウンも5回目の最後はちゃんと前で手を揃えないと。6で手を止めて、それから7、8で手を収める。両手のジンヨォダウンも一緒。6で止めて、7、8で収めて、それからパロウッチェッ」
 指示は細かいが、指示通りに動くと、成程、自分の動きが少しずつ先生の動きに似てくる。
 先生の踊りの切れの良さは、きちっと正しい位置で動きを止めるからのようだ。また、その止め方が丁寧だから動きが鮮明に見える。

 動きの違いはちょっとしたことなのに、その、ちょっとしたことを直すのが難しい。
 動きの違いはちょっとしたことなのに、ちょっとしたことが集まって、全然違う踊りになってしまう。
 体中の至る所に「ちょっとしたこと」が散らばっていて、こっちに気を取られていると、そっちが留守になるし、そっちに気を取られていると、今度はあっちが留守になる。
 これに気を付けなきゃ、あれに気を付けなきゃと、意識し過ぎてもギクシャクしてくるし、だから、体で覚えてしまうまで練習をしないと、あちこちを意識している間は、上手く踊ろうなんて無理な話なのだろう。
 器用な人はそんな事はないのだろうが、不器用な私は練習して練習して、体に覚えこませないとまともに動くことも出来ないので、太極拳を始めた時も、バレエを始めた時も、そのせいで体形が変わってしまった。
 今また、ミャンマー・ダンスを始めて体形が変わってきたのだが、美しい体の線を見せることが目的のバレエは、美しくない体の線ですら美しく見せる(見せようとする?)ので、体形が変わることも大歓迎だったが、ミャンマー・ダンスで変わってしまった体形は、鏡を見る度に私の胸を悲壮感で満たす。
 儚げなとか、華奢なとか、そんな形容詞、世界中の辞書から抹消してやりたいくらい、全身にモリモリと筋肉が付いてしまったのに、踊りはちっとも上手くならない。
 こんな頑丈そうな体付きでは、アラベスクもバランセも、デュベロッペもフォンデュも、あんなに努力したのに、もう、絶対に綺麗になんか見えない。
 腕のポジション2番でルルベをしたら、まるで超合金ロボ、良くて鉄腕アトムである。
 こんなにしてまでミャンマー・ダンス、踊る必要があるのだろうか。いや、ないだろう。
 でも、衣装を着たい、舞台に立ちたいと言う願望のないバレエと違って、ミャンマー・ダンスは衣装も着たいし、舞台で踊ってもみたいのである。
 老い先短い人生、この先、そんなチャンスが訪れることはないだろうけど・・・・・
 いやいや、諦めてしまえばそこでお終いである。
 こんなに好きなのだから、最近座右の銘に加えた「止めない・死なない・諦めない」、この三原則を胸に、何かしらの芽が出るまでは踏ん張ってみようじゃないの。
 ・・・・・でも、絵や音楽とは違って、踊りには、「体が動く限り」と言う制限があるし・・・・・・・・
 いやいや、いやいや、昔、恩師も言っていたではないか、「高く跳べなくても、それをカバーする表現力を付ければ好い。32回転を回れなくても、それを上回る正確さがあれば好い」と。

 さて、そんな苦しい葛藤はさておき、稽古の事である。
 シンドウ・ミンダーを踊って思うように踊れずに落ち込み、マガイを踊っても思うように踊れずに落ち込み、最後に、昨日は後回しにされたターヤ・ラパを踊ったのだが、これも何箇所も間違えてしまい、とてもじゃないが思うように踊れたとは言えない状態だった。
 ・・・・・・全滅。いいとこナシじゃん。
 がっくりと肩を落とし掛けたのだが、「これは忘れないんだねぇ」と、先生、お兄ちゃんと同じような口調で言って、同じような笑い方をした。
 何でか解らないけどOKらしい。
 シンドウ・ミンダーやマガイだって振り付けは覚えているし、ターヤ・ラパだって、シンドウ・ミンダーやマガイと同じくらいに間違えた。
 ターヤ・ラパの鬼門はマガイと共通してカピー・ヤイ。音楽とリズムに何の関連性も見出せないので、どう説明されても曲にステップを乗せられない。酷い話だが、一度も腑に落ちた事がない。
 なのに何で、ターヤ・ラパだけOKなんだろう。
 何でターヤ・ラパだけ反応が違うんだろう。
 何で笑うんだろう。
 お兄ちゃんに笑われると何となく面白くないのだが、先生に笑われると何となく、まぁ、でも、好いのかな?と言う気分になる。
 これも先生効果なのかも知れないが、でも、何が何だかさっぱり解らない。
 そして、よく解らないままにタイムアウト。
 ネーピードゥに戻らなければならない先生は、「じゃ、1月にね」と、時間通りにスタジオを去って行った。

 来週の稽古は、都合が付けば、久方ぶりにお兄ちゃん先生(2号)が来てくれるとのこと。
 どうなるかは追って連絡すると言っていたが、どうせ掛かっては来ないんだろうな、先生からの電話。
  


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2013年11月25日

先生効果

11月19日(火)

 息子のスクール・トリップの準備を手伝っていたので、いつもより家を出るのが遅れて、スタジオに着いた時、時計の針は既に12時半を回っていた。

 エアコンのスイッチを入れ、時計を横目に見ながら、慌てて床を掃き始める。
 ファンを回し、椅子を出し、オーディオをセットする。水筒とタオルをバックから出し、靴下と靴を履く。準備終わり。

 ・・・・ふぅ、間に合った。

 お兄ちゃんの稽古でも準備は同じだが、先生が来るかも知れないとなると意気込みが違う。
 心を入れ替えて自主練を再開したのは勿論、お兄ちゃん動画で動きとカウントを確認し、しつこいくらいに曲も聴いた。
 カビャー・ロッとターヤ・ラパについてはどうにか、マガイとシンドウ・ミンダーの方も、言い訳が出来る?程度には踊れる状態だと思う。

 柔軟をしながら先生を待とうかと思ったが、疲れて踊れなくなっても困るので止め、手持ち無沙汰に貰い物のシャン・バックのカスタマライズを試みる。
 飾りの房を外し、一緒に付いていたビーズも外し、房を解いて伸ばす作業をしていたら、擦りガラスの扉越しに人影が見えた。

 この丸っこいシルエットは先生に違いない。お兄ちゃんは忙しいのだろう、一人のようだ。

 耳をぴんと立てて様子を窺う犬さながらだが、私は犬ではなくオバサンなので、先生が来たと判っても尻尾を振って跳びつく訳には行かない。

 半月振りに見る先生は日焼して顔が黒くなったようだ。髪も中途半端に伸びているし、少し疲れているように見える。

 「先生、ネーピードゥは大変みたいですね。ちょっとやつれたんじゃないですか?」
 訊ねると、「そう、物凄く大変。ネーピードゥはヤンゴンより暑いし、毎日、炎天下での練習だから、気分の悪くなる学生も多いよ。可哀想になる」との返事。
 先生の担当はオープニング・セレモニーでのパフォーマンスなので殆ど仕上がっているらしいが、エンディング・セレモニーでのパフォーマンスはこれから詰めに入るとのこと。
 今年は例年になく暑いから、炎天下で長時間の練習は、暑さに慣れていたって大変だろう。本当、可哀想な学生達。

 学生達だけでなく、指導する先生達だって気の毒なのだが、先生、明日の稽古が終わったら、またすぐにネーピードゥに戻らなければならないのだと言う。
 昨日の夜のバスでヤンゴンに帰って来たと言うから、2日もない休みの半分を、私の稽古で潰してしまうことになる。
 疲れているだろうに休まなくて大丈夫なのかと尋ねると、私の稽古のために帰って来たのだから気にしなくてもいいと言う。

 ・・・・・そんな、先生、気にするなと言われても、気にしない訳には行きませんがな。

 何でも、お兄ちゃんからのレポート(私の稽古についての、である)がないので、どうしているか心配になったのだそうな。

 先生曰く、今回は誰も彼もがSEAゲームの準備でネーピードゥに缶詰となってしまい、使える弟子はお兄ちゃんしかいなかった。彼のお小遣い稼ぎにもなることだしと、細かい指示を与えた上で私の稽古を任せたのだが、ポェ・シーズンの到来で自分よりも余程忙しくなってしまい、レポートどころか稽古すら心許ない状況だ。自分が戻っては来て教える訳にも行かないし、いい加減なことでは私にも迷惑が掛かるから、12月の稽古は休みにしても好いだろうかとのことである。

 お兄ちゃんがあちらこちらの催し物に呼ばれて忙しいのは本人の口から聞いている。
 彼は私には遠慮などしないが、先生には遠慮して何も言わないらしく、稽古日変更の件も、やはり、先生には内緒だったようだ(それどころか、あちこちで踊っている事も殆ど話していないらしい)。

 先生の都合がつかなければ稽古なんて出来ないのに、好いも悪いもないのではと思うのだが、ご丁寧なことである。

 年末年始は私も帰国するし、先生達も本業が忙しいのに無理する必要はない、事情は承知しているからと答えると、それでは1月に私が戻ってから稽古を再開しようということになった。

 同僚には電話をすれば済むことだと言われたが、会ってきちんと説明したかった、部屋の掃除もあるし云々、1月になれば時間が出来るので今まで以上にしっかり教えてあげられる、次の練習曲も、もう3曲ほど選んで準備してあるから等々、見るからにホッとした様子で、先生、やたらとよく喋る。

 話を聞いていると、帰って来た主目的はどうやら、私に12月の稽古を休みにしていいかどうかを確認するためだったようだ。

 ・・・・・どんだけ電話するのが嫌なわけ?

 先生は私の事が怖いのだろうか。
 毎度の事ながら、どうしてこんなに気を使う必要があるのだろうかと不思議になる。

 稽古代は副収入にはなるだろうが、先生は大学以外に他にも教えている生徒がいるようだし、私の稽古代が高いのはプライベート・レッスンになっているせいで、これが4、5人のグループ・レッスンで頭割りなら相場である。
 そもそも習い始める前に先生は、月に20万チャットの月謝を貰わなければ合わないと言っていた。それを一人だからと、私は稽古代を安くして貰っているのだ。
 私が先生に払う稽古代は月額にして約16万チャット、タクシー代を差し引けば多分1回が1万チャットくらい。大抵は1時間半以上の稽古をしてくれているので、1時間当たりの稽古代はラウェイと大して変わらない。特に割りの良いアルバイトと言う訳でもないだろう。

 私には何の立場もないし、役に立ちそうなコネもないし、お年頃の美女(美男?)というわけでもない。私に恩を売ったところで、得になるような事など全くないと思うのだが・・・・・

 ところで、1月からの稽古は好いが、韓国に留学するのではなかったのかと訊ねると(お兄ちゃんから「行かないらしい」と聞いてはいたが)、TOEFLの試験のために3ヶ月間、英語の講習を受ける必要があるのだが、政府がそのための休暇を許可してくれないので、当面は保留なのだと言う。

 「それって、自分で英語を勉強すりゃいいんじゃないの?」と思わないこともないが、まあ、先生には悪いが、私としては一安心である。

 そんなこんなで結構長く話し込んでから稽古に入ったのだが、いやいや、自主練しといて良かった。先生、お疲れの割には概ねご機嫌で、溜息をつかれることもなく済んだ。

 シンドウ・ミンダーをメインに練習し、マガイのおさらいを挟むと言う、お兄ちゃんとは反対のパターンで、ターヤ・ラパは明日観るからと後回しである。

 お兄ちゃんが変更したシンドウ・ミンダーの振り付け箇所を全部、先生は一つ一つ確認しながら、自分が教えた通りの、元通りの振り付けに戻した。
 やはり振り付け師、自分の振り付けには拘りがあるんだなと思っていたら、自分の振り付けについても記憶が曖昧なようで、お兄ちゃんアレンジ以外の箇所も直していた。

 お兄ちゃんには悪いが、先生の指導はとても判り易い。先生のお手本もとても判り易い。

 お兄ちゃんはゆっくりと溜め気味に踊る。流れるように優雅な、謂わば、イリュージョン・タイプの踊り方だが、気が短くて溜めが苦手な私には、タイミングが掴み難い上に似合わない。

 先生はお兄ちゃんのようにふわっと踊ったりはしない。一つ一つの動作が丁寧で流れないので、端々がピタッと収まるように切れる。すっきりとクリアな踊り方なので解り易いのである。

 先生に教えて貰うと、シンドウ・ミンダー、あんなに苦労したのが嘘みたいに腑に落ちる。

 動作をワーで1、2と単純にカウントするのではなく、私にも解るように、「チュイン1、チュイン2・・・・」と、シィーの擬音も入れ、リズムでカウントしてくれるあたり、流石である。

 何が間違っているのか説明してくれるので納得が行くし、指示が端的で、一度に多くを要求されないのも、不器用な私にはありがたい。

 マガイはまだカウントが狂うし、彷徨える子羊のようにフラフラしている。
 自分でも全然ダメだなと思うくらいなので、当然、先生からのOKが出る由もないのだが、それでも先生、今日も、私にはこれが一番似合うから綺麗に踊れるように頑張れと励ましてくれた。

 豆ダヌキでもお師匠様、生徒にやる気を起こさせる先生効果は抜群である。
  


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2013年11月18日

シンドウミンダー(5)

11月13日(水)

 「もう二週間も練習してるんだよ。今日こそは終わらせないと、こんな調子じゃ、一ヶ月掛かって一曲とかになっちゃうよ。ケチの付けようがないくらい完璧って言うんなら別だけど、そうじゃなきゃ、そんなことってありえない」

 本日の稽古もシンドウ・ミンダー。
 そして、稽古を始めるに当たって、初っ端からお叱りの言葉である。自分のオカンほども年上の私に口調を荒げることはないが、お兄ちゃん、少々不機嫌だ。
 でもね、お兄ちゃん、ほんっとに、シンドウ・ミンダー、タイミングが掴めないのよ。
 踊れば踊るほどおかしくなる。きちんと踊ろうと集中すればするほど、いつ足を下ろすのかが判らなくなる。もう、泣きたいくらいにタイミングが掴めないのだ。

 私は自分にリズム感がないせいか、中高生の子供の頃から、バンドならばドラムやベースが好きだった。
 パーカッションやリズム隊が好きなのだが、しかし、ミャンマーの伝統音楽では太鼓が基調のリズムを叩いてない。と言うか、基調となるリズムって存在するのだろうかと疑問に思う。
 音楽の素養もないのに適当な事を言っているが、でも、太鼓がリズムやテンポなど忘れて、自由に旋律を奏でているので、太鼓の音では、私は、カウントが取れない。それどころか、どの楽器の音ででもカウントが取れない。
 「曲を聴いて!」と叱られても、聴き方が解らないのである。どう考えても私のDNAには、これを聞き取り可能にしてくれるアプリが入っているとは思えない。
 「ちゃんと聴いてるけど、どうやってもタイミングが掴めない箇所がある。どうやってカウントを取ったらいいのかが解らない」と訴えると、お兄ちゃん、シィー(ベル)とワー(カスタネット)を取り出した。
 カウントを取ってもらえれば何とか踊れるのだが、私がそれに頼り過ぎて自力で踊れなくなるのが心配だとかで、お兄ちゃん、曲に合わせ、黙ってシィーとワーを打ち鳴らし始める。

 ふと、昔、竪琴の先生が鳴らしてくれたシィー・ワーを思い出した。
 竪琴の先生も私達が竪琴を弾く横で、よくシィー・ワーを鳴らしてくれたっけ。
 歌いながらシィー・ワーを鳴らすこともあって、竪琴一筋何十年のおじいちゃん先生が歌いながら鳴らすシィー・ワーの音には、随分と深い味わいがあったものだ。
 いや、今は全くそれどころではない。
 ワーに合わせて足を戻すのは解っているのだが、ワーに合わせると曲とずれるような気がして、混乱してますます踊れない。

 カビャー・ロッの時はチュイン(シィーの音)が1、ビャイン(ワーの音)が2と、音でカウントしていた。
チュインで足を出して1、ビャインで足を戻して2という具合なので、8カウントで足を踏み出して戻すという動作を四回繰り返すことになる。
 先生はバディータでもそうしてくれるが、お兄ちゃんは「チュイン、ビャイン」のワッ・ラッのリズムなら「ビャイン」で1、ナジィーのリズムなら、「チュイン、チュイン、チュイン、ビャイン」の最後の「ビャイン」で1と、動作をカウントしている。
 多分、お兄ちゃんのカウントの仕方が普通なのだと思うが、私はずっとバレエの練習曲で踊ってきたので、ワルツス・テップ以外は全てを4か8のカウントで踊る癖がついていて、この裏拍で動作をカウントする方法は非常にややこしい。
 それまで感覚的に旋律に合わせて踊っていた部分を、カウントに嵌め込もうと耳を澄ますのだが、シィー・ワーと曲に相対関係はないのか、曲の中にシィー・ワーと同じカウントを取れる楽器の音が見つからないのである。
 一つの曲の中にワッ・ラッもワッ・ピェーもナジィーも入っているのがミャンマーの伝統音楽・伝統舞踊である。カウントの仕方に慣れていない上に躊躇があっては、間違えない方がおかしいだろう。

 ターヤ・ラパが踊りやすいのは、殆どの振り付けが旋律に合わせてあるからで、マガイが踊り難いのは、振り付けと旋律に関係がなく、カウントを間違えると修正が利かないからである。
 シンドウ・ミンダーは斑状で、旋律に合わせれば良い箇所と、カウントしてないと踊れない箇所とが混ざっている。

 何でこんなに難しい踊りを初めちゃったかなぁと、嘆いてみても仕方がない。
 「これで難しいんなら、次の曲はどうするの?」と、お兄ちゃんが踊って見せてくれた次の課題曲「Nyein Chan Bon」は、シンドウ・ミンダーの5倍くらい難しそうだ。
 だが、この踊り、ポー・チッも踊っていたアヨウッ・カである。
 そうか、あのアヨウッ・カかと思うと、溜息と同じくらいやる気も出る。挫けそうになるが、踊ってみたいとも思う。
 次の稽古はシンドウ・ミンダーのおさらい以外、みっちりこれをやると言われている。
 諦めるもんか。落ち込みそうだけど、回数をこなせば何とかなるさ。やってやるとも3時間。
 さて、少しは練習、しとくかな。  続きを読む


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2013年11月13日

シンドウミンダー(4)

11月12日(火)

 シンドウ・ミンダー、本日も終了成らず・・・・・

 昨日のラウェイの筋肉疲労は残っているが、マッサージに行っていないので体がギシギシしてはいるが、今日は火曜日、ミャンマー・ダンス以外は何もない。特に疲れているわけではない。完全なる練習不足である。

 つくづく忠犬ハチ公だなと自分でも呆れるのだが、先生がいないと緊張感まるでなし、弛みっ放し、我が家の犬の、私に対する態度を鏡写しに見ているようである。

 家のブラウニーはイン・クェと言って、イギリス領時代に確立されたミャンマーの固有種で、名前の通り焦げ茶色の中型犬である。
 ちゃんと主人を群のボスと認識していて、主人が庭に出ている間はお供をして傍を離れることはないし、勿論、主人に逆らうこともしない。
 ブラウニーの認識では、私達家族4人+住み込みの使用人やスタッフ8人+1頭の群の中で、彼の立ち位置はナンバー3である。
 ナンバー1は主人、ナンバー2は私、そして子供達とブラウニーが同格のナンバー3。
 ブラウニーは主人や私に対してふざけ掛かるような事は殆どしないが、息子と娘、我が家に入り浸りの甥には、自分と同格と見做しているのでふざけてじゃれ付く。
 後の人達の事は自分より格下だと思っているので、彼等には容赦がなさ過ぎて、吼えるわ、噛むわ、最近は去勢をすべきだろうかと頭を抱えているほどだ。

 さて、このブラウニーだが、主人と私では明らかに接する態度が違う。
 私が庭に出ても一応は挨拶に来てくれるが、頭を撫でてやると、用は済んだとばかりに姿を消す。呼べば傍に来ることもあるが、目の届くところにいる場合、「何?聞いてるよ?」的な顔付きで、体の一部を動かして見せるのが関の山である。
 そういう時のブラウニーのかったるそうな顔に、思い切りシンパシーを感じてしまう私である。

 先生に「きちんと踊ってね」と言われると、「ホッケ!(はい!)」と答える私だが、お兄ちゃんに同じ事を言われると、「ホウッ(はぁ)」となる。意識しているわけではないのだが、そうなってしまう。
 先生に溜息を付かれると滅茶苦茶凹むのだが、お兄ちゃんに溜息を疲れても「ごめん」で終わりである。
 先生に「随分と良くなった」と褒められると、尻尾があれば振りたいくらい嬉しいのだが、今日、お兄ちゃんが同じように褒めてくれた時は、そりゃ、悪い気はしないのだが、本当かよ?と思ってしまった。
 お兄ちゃんだって一生懸命教えてくれてるのに、済まないね、緊張感がなくってさ。

 練習は毎晩、したい、しなきゃ、と思うのだ。でも、一ヶ月もすれば慣れるだろうと踏んでいたラウェイの、メニューのレベル・アップ・スピードが思ったより早くて、なかなか疲労が抜けない。
 先週の金曜日にラウェイの後でミャンマー・ダンスを入れて、過度の疲労のためだと思うが、両方の股関節が捥げそうになった。今日もまだ、胡坐はかけない状態である。
 一踊りしたいなと思っても、疲れて動きたくなかったり、体を壊すのではないかという恐怖のせいで、音を聞くだけにしてみたり、座って腕だけを動かしてみたりで終わらせてしまう。
 先生もいないし、これでいっかなと思ってしまうのだ。
 その結果、シンドウ・ミンダーを3日も練習して、もう踊り込みの段階だというのに間違いだらけ。お兄ちゃんに「どうしたの?」と訊かれる始末である。
 いかんいかん!こんなことではいかん!!
 お兄ちゃんには「新しい踊りに進みたかったら言ってね」と言われたが、先日彼が言った通り、私は今までの3曲をきちんと踊れるようにしたいのだ。
 そしてそれは、同じ事をダラダラ繰り返すという意味では決してない。
 動き自体は良くなっているようなのだが、練習が足りないのでシィー・ワー(拍子)が飲み込めていない。それに、考えないと次の振り付けが出て来ないのとで、どんどん曲と踊りがずれて行ってしまう。
 ミャンマーの伝統曲は拍子が取り難く、体で覚えてしまうか、先生やお兄ちゃんがカウントを取ってくれるかしないと、リズム音痴の私にはタイミングが掴めないのだ。

 速くてつまらないからと、本人はあまり好きではないらしいのだが、お兄ちゃんは稽古の度に必ず1回だけ、ターヤ・ラパを踊らせる(何故かマガイの練習はしたがらない)。
 今日も1回だけ踊ったが、ターヤ・ラパは初めて習った曲だったので、嬉しくて毎日自習練をしたせいか、こんな状態でも忘れることなく何とか踊れている。
 私がターヤ・ラパを踊る度に、「これは忘れないんだねぇ」と笑うのが気になるが、嘘か本当か、良くなっているとお兄ちゃんは言う。
 シンドウ・ミンダーはターヤ・ラパほど疲れないし、マガイほど難しくもない。
 回数を重ねれば確実に踊れる曲なのに・・・・・・・・

 お兄ちゃんがやたらと写真やビデオを撮りたがるのも問題である。
 彼は自分が撮られるのが好きなので、親切でやってくれているのだと思うが、私は写真もビデオも苦手だ。
 子供の頃から褒められると失敗する質で、自意識過剰なため、カメラなんかを向けられた日には、きちんと踊ろうと意識し過ぎて、頭の中が真っ白になってしまうのだ。

 5回くらい踊るとOKが出て、お兄ちゃんがipadを持ち出す。
 カメラを向けられると緊張して失敗する。
 一度失敗すると焦ってしまい、雪崩式に何度踊っても失敗するようになる。
 仕方ないのでビデオを諦め、持ち直すまで、また、5回ほど踊る。
 ここ3回の稽古は、ずっとこれを繰り返している。
 流石のお兄ちゃんも飽きてきたのか、「明日でシンドウ・ミンダーは終わらせるからね」と期限を切られてしまった。おまけに来週からは稽古を週1回にすると言う。
 ポエ(お祭り)・シーズンの到来で、大学生ながら、あっちこっちへ呼ばれて踊るので、お兄ちゃんは忙しいらしい。
 「今まで2回してた練習を1回にしよう。1時間半ずつの2回を3時間の1回。火曜日、1日だけなら僕も学校に差し支えないし、アマもスタジオ代は変わらないんだし、ゆっくり練習できるから、問題ないでしょう?」
 ・・・・・・3時間。・・・・・・オバサンの体力には、問題はないんですかね?  


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2013年11月12日

シンドウミンダー(3)

11月8日(金)

 エキストラの金曜日の稽古、時間はいつもの1時から2時半。スタジオの使用許可はあっさりと出たが、午前中のラウェイの稽古はいつにも増してきつかった。

 ミャンマー・ダンスとは関係ないが、少々説明させていただくと、ラウェイとはタイのムエタイと良く似たキック・ボクシングの一種で、1000年以上の歴史を持つというミャンマーの国技である。
 始めて1ヶ月ちょっとなので解らないことだらけだが、ムエタイが8種類の攻撃技を持つのに対して、ラウェイには9種類の攻撃技があるのだそうだ。
 ムエタイにはないラウェイの9つめの攻撃技は頭突きで、残りは、ジャブ、フック、アッパー、エルボー、プッシュ・キック、ニー・キック、ローリング・キックの8つで・・・・、あれ、一つ足りない?
 ・・・・まぁ、いいや。思い出したら確認しておこう。
 ラウェイの稽古は古タイヤの上で跳ぶ事から始まる。意図するところは持続力と機動性の強化だと思うので、縄跳びのようなものだろう。ノーマルとスウィッチと呼んでいる2種類のジャンプを交互に10分くらい続ける。
 タイヤ跳びが終わると、軽く柔軟・筋トレをしてフォームの練習。キックが数種類、パンチが数種類、そして、ステップの入ったコンビネーションが何パターンか続く。
 これが終わるとグローブを着けて、サンドバックにキックやパンチを打ち込む練習をし、最後にリングに上がってスパーリングとなる。
 以上のメニューを2時間。屋根はあるが屋外での稽古のこと、当然エアコンは無く、扇風機もないので暑い。
 そろそろ慣れてきたと判断されたのか、以前は手取り足取り、付きっ切りで教えてくれていた師匠、ロンチョー大先生は、稽古の前半はお出掛けで、後半も殆どその辺で寝ていた。
 若いトレーナーのお兄ちゃん達(現役ファイター達)は、なかなか休憩を入れてくれないし、今日からメニューが変わったのか、今までの、ロー・キック10回とか、ワン・ツー・パンチ10セットのようにブツ切れの練習だけではなく、4分間に各種攻撃技を連続して行うという練習が加わって、持久力のない私はもうバテバテ、顔から血の気が失せてしまったらしい。
 最後のスパーリングでは、途中でドクター・ストップならぬロンチョー・ストップが入ったくらいバテた。

 この後でのミャンマー・ダンスである。
 間に2時間の休憩を挟んでいるとは言え、「丁寧に踊って」と言われても、思うように膝に力が入らない。
 ロー・キック、ミドル・キック、ハイ・キックと、何せロ-リング・キックだけでも200回以上はこなしているのだ。中腰の「アコェ・ジン(基本姿勢)」は拷問だろう。

 脳ミソも疲れているらしく、振り付けは覚えているのにカウントが取れない。タイミングが合わない。咄嗟に次の動作が出てこない。
 「これじゃ、今日も新しい踊りには無理だね」と、お兄ちゃんが溜息を付いた。
 それでも歯を食い縛って「もう少し」まで漕ぎ着け、更に根性で「大体OK」まで辿り着き、「じゃあ、ビデオに撮って自分の動きを確認しようか」と言われたのだが、気が抜けたのか間違いだらけで、「やっぱりダメ。これ、消すよ」と逆戻り・・・・・
 「段々と好くはなって来てるけどねぇ」と、お兄ちゃん、又しても溜息を付く。
 この後、気分転換なのか、今日も一回だけターヤ・ラパを踊ったのだが、「こっちは覚えてるんだね」とお兄ちゃんは三度めの溜息を付いた。

 ビデオを撮ることは諦めたお兄ちゃんだが、「正しいポーズを写真に撮ってあげる。そうしたら自分でも確認できるでしょ。携帯貸して」と、シンドウ・ミンダーの最初のポーズ、途中のアヨウッ・レッ・ゴウッ・モウッのポーズ、おまけのポーズと3種類の写真を撮ってくれた。
 「肘上げて、胸張って」「頸こっち、腰落として」「足引いて、膝開いて」等々、あっちもこっちも直されて、ポーズをキープしているだけで「早く撮れよ~」と眉間に皺が寄り、10秒もキープしてると足や腕が震え出して、笑顔を作る余裕なんか吹き飛んでしまう。
 いやはや、ダンスとは本当に、体に不自然な姿勢を強いるものだ。
 だが、呼吸も忘れるくらい頑張ってポーズを取ったのに、「ほら、凄く綺麗。いつもこの姿勢で踊ってね」と見せられた写真は、どう見ても子供のお遊戯で、何処が綺麗なんだと、がっくりと肩が落ちる。

 この後でお兄ちゃん、自分が大学のコンテストで踊った時の動画を見せてくれたのだが、これがまた素晴らしく綺麗で余計に落ち込んだ。
 普段着で踊るのとはまるで違い、この華やかさがミンダーだよなぁとしみじみ思う。やはりミンダーの踊りはミンダーの衣装を着けないと。
 コンテストだけあって曲は5分以上と長く、振り付けも難しく、跳ぶわ、跳ねるわ、落ちるわで、この思い切りの良い見事なミンダー落ちに、観ているだけで肩の青痣が疼き、思わず、「これって痛くないの?」と訊いてしまった。
 ジャンプは目を見張るほど高く、動作は大きく滑らか、ひらひらと舞う衣装の裾は華やかで、空気感があってとても優雅だ。
 踊りは上手だし、スタイルも良いし、見惚れるほど綺麗なので、これは多分に好みの問題なのだが、お兄ちゃんの踊りには柔らかさは十分でも軽ろやかさが足りない。
 重いわけではない。ふわっとした軽さはあるけれど、溌剌とした軽快さが足りないのだ。
 要は切れが足りないのだと思うが、だからなのか、やはり、可愛らしさは感じられない。

 お兄ちゃんのお手本の動画(シンドウ・ミンダーを踊ってるもの)を見直し、全然綺麗に見えない自分の写真(或いは「現実」と言い換えても良い)を睨みながら考えた。
 ほっそりと手足の長いお兄ちゃんの取るポーズは優雅で美しいが、ごつくて手足の短い私には、そんな優雅さなど望むべくもない。
 先生の言う通り、私はきちんとアコェ・ジンで踊らないと、この先もずっと満足の行く踊りなんか踊れないだろう。
 基本姿勢に忠実に、腰をもっと落とし、体幹ももっと捻って全体に丸いフォームを作り、可愛らしさを狙うしかない。
 柔らかくて優雅な空気感など、私の体形で表現するのは至難の業だから、切れを良くして軽やかさを演出する。
 アゲハチョウは諦めてモンシロチョウを狙うなどというレベルの話ではなく、アゲハチョウは諦めてオニヤンマを狙うくらいの思い切りが必要だ。
 ・・・・・いや、とてつもない体力も必要になりそうなので、やっぱりオニヤンマは止めて、赤トンボくらいにしておこう。

 ふと我に返ると、何でこんな事を真剣に考えているのかと馬鹿馬鹿しくなるが、でも、楽しいのだから仕方がない。
 フィットネスのせいなのか、ミャンマー・ダンスのせいなのか、ラウェイのせいなのか、何にしろ、体がごつくなり過ぎてバレエは絶望的に似合わなくなってしまったし、この際、楽しくラウェイで体力の増強を図り、楽しく自分のミャンマー・ダンスのスタイルを追及するのだ。
 もう、腕立て伏せでも何でもやってやる(今まで腕立てやスクワットのような運動は、バレエのために不必要な筋肉をつけるので避けていた)。
 バレエを止めるつもりはない。自分の中で決着が着くまで、可能な限りは、バレエは続けて行くと思う。けれど、シリアスにレッスンはするけれど、でも、もう、シリアスに思い詰めるのは止めにしようと思う。
 バレエに対する7年分の努力は、確実にミャンマー・ダンスに活かされている。
 バレエに対する真摯な気持ち、今まで培った諸々の成果を、これからはミャンマー・ダンスに接木したとしても、恩師はきっと笑って許してくれるだろう。
  


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2013年11月10日

シンドウミンダー(2)

11月6日(水)

 昨日の朝、6時45分、ネーピードゥの先生から電話があって、火曜日の稽古はキャンセルになった。
 大学で行事があるらしく、お兄ちゃん先生(1号)の都合が付かないからとのことだったが、相変わらず先生、電話はぎりぎりに掛ける主義のようだ。
 明日は大丈夫だからとの先生の言葉通り、お兄ちゃん先生は15分前にスタジオにやって来た。
 先生に似ているのか、先生が怖いからなのか、彼もまず時間に遅れるということはない。
 これはミャンマーでは大したことなのだが、だだ、「昨日は稽古が出来なかったから、シンドウ・ミンダー、忘れちゃったんじゃない?」と訊かれて、「昨日、今日でそんなに変わるものなの?」と聞き返しこそしなかったけれど、やはり、あまり賢くはないのかもと思ってしまった。
 まだ二十歳なのだ。五歳から踊り一筋(かどうかは知らないが)で、世間知らずの大学生のお兄ちゃんなのだ。仕方あるまいと自分で自分を宥めてみる。

 そういう訳で、本日の稽古はシンドウ・ミンダー。
 振り付けは大体覚えているので、踊ってはポーズの拙いところを直し、ところどころで振り付けに修正を加え、また踊っては拙いところを直す。延々とこの繰り返しである。
 私は同じ事を繰り返しても飽きる質ではないが、それでも体力の消耗はかなり激しい。
 途中で1回だけターヤ・ラパを踊ったが、「ま、いっか」的な雰囲気でスルーだった。
 お兄ちゃん曰く、「シンドウ・ミンダーがきちんと踊れるようになるまで、新しい踊りには進めない。中途半端じゃ、幾つ踊りを覚えても意味がないし、アマがきちんと踊れるようにならないと、僕が先生に怒られるから」。
 ちと情けない感じが否めないが、まぁ、正論だろう。彼にまでガンガンと先に進まれては、心太どころか、如雨露のように習ったことが零れ出て行きそうだ。
 それに、お兄ちゃん先生は現役?だけあって、踊りのビデオを撮らせてくれる(頼まなくても撮れと言われる)のでありがたい。
 カビャー・ロッの第三段の時に撮らせて貰った(いや、撮らされた)動画は、練習する時に本当に役に立った。
 毎度の事ながら、自分が踊る通りに踊れと言える自信が凄いなとは思うが、言うだけあって彼の踊りは綺麗だ。可愛らしさには欠けるけれど、欲を言っても切りがないし、ミンダー・アカの可愛らしさは、ミンダーの容姿に起因するところが大なのでどうしようもない。

 それよりも、このところ、この数週間、腑に落ちないでいるのは、ミンダー・アカの‘綺麗’が何処を、何を基準にしているのかと言う事である。
 「アマのマガイは綺麗だよね。でも、シンドウ・カはもっと綺麗だから頑張って。はい、じゃあ、もう一度」と、お兄ちゃんは励ましてくれるが、マガイにしろ、シンドウ・ミンダーにしろ、私にはどうしても自分の姿が綺麗には見えない。
 ポーズを直されて、「ほら、鏡見て、綺麗でしょ?」と言われても、さっきよりはマシだけどと思うくらいで、ミャンマー・ダンスの基準はそんなに甘いのかと(ファジィなのは確かだが)頸を捻ってしまう。
 バレエを始めた頃、恩師には物凄く細かく丁寧に姿勢やポーズを直された。
 先生に姿勢やポーズを直して貰い、鏡を見てみろと言われて恐る恐る自分の姿を見ると、成程、それなりに様になっていて、この私のチンチクリンの体形でも、バレエのポーズは表現出来るものなのねぇと、心底感心したものだ。
 太極拳でも同じである。初めて習う勢は見様見真似でポーズを取ってみても、大抵は見るに耐えないヘナチョコ加減なのだが、先生にちょいちょいと直されると、途端にそれなりに、何となく強そうに見えるから不思議だ。
 運動神経の鈍さは練習量で何とかカバー出来ることを学んだように、体形の不自由な人である可哀想な私でも、美しいポーズにはそれなりに落しどころがあるという事を、ここ十年の経験から学んでいる。
 だから、私の言う「綺麗じゃない」とは、多少語弊があるかもしれないが、容姿の美醜とは関係がなく、純粋に正しいフォームが取れていない不自然さを指しているのである。
 お兄ちゃん先生も先生と同じで、気に入らなければ綺麗じゃないとはっきり言うし、しつこくポーズを直してもくれるので、全くのお世辞、お愛想ではないと思うのだが、自分の姿はどう見ても先生達のお手本のように綺麗には見えず、どうすればいいのかが解らなくて溜息が出る。
 この部分は綺麗に踊れているとか、これは綺麗になったとかと言われても、「そんなもんですか?」くらいにしか思えないし、逆に、ここはちゃんと踊れていると思っていた箇所を直されたりして、ミャンマー・ダンス、つくづく奥が深い・・・・・・・
 また、先生達はいとも簡単に「日本で踊って見せれば?」と言うのだが、帰国ついでに「踊りますよ~」と言ったところで、習い始めて半年も経たない私の、こんなヘタクソな踊りなんかを、誰が見たいと思うのだろう。
 「ターヤ・ラパ、マガイ、シンドウ・ミンダー、この3曲がきちんと踊れればお金が稼げる」と言われてもね、お兄ちゃん、何処で踊ってどう稼げと言うの、この私に。
 お兄ちゃんはミンダー衣装を一式揃えておけとまで言うのだけれど、大好きなミンダー・アカの評価を下げるような大それたこと、私には到底出来そうにない。
 適当に言葉を濁して稽古を続け、稽古が終わって帰り際、「火曜日は稽古が出来なかったから、代わりに土曜日か日曜日に教えに来ようか?土・日なら学校休みだし」とお兄ちゃん先生。
 今まで何度も他の曜日はダメなんだと説明した筈だが、このお兄ちゃん、先生と同じで人の話を聞いてないタイプらしい。
 「・・・・・いや、土・日はスタジオが空いてないから。ほら、これ見て、ここに貼ってあるの、これ、スタジオのタイム・テーブルなの。ここ、土・日の欄、ほら、朝の9時からずっと埋まってるでしょ?子供達のクラスがあるから土・日は一杯なの、ね?」
 「でも、どっちも2時で終わりじゃないの?その後は?」
 「書いてないけど、大体はズンバやラテン・ダンスのクラスが入ってる」
 「アマの家は?家で稽古するなら、スタジオ代も掛からないじゃない?踊れるスペースないの?」
 「・・・・・う~ん、ないこともないけど、ソファやテーブルを片付けなきゃなんないし、鏡がないから、ポーズの確認が出来なくて不便だなぁ・・・・・・・」
 それに、主人と子供達も嫌がりそうだし、姑、小姑に何を言われるか・・・・・・・
 「じゃ、金曜日は?金曜日は何にも書いてないけど?」
 最近変更になったばかりで、一日中、ぽっかりと空いている、タイム・テーブルの金曜日の欄を指して、お兄ちゃんが訊く。
 「え、だって、学校あるでしょ?」
 「一日くらい休んでも大丈夫だから」
 「え?学校に行かなくて良いわけ?」
 オカンは「学校を休む」という言葉には、習性として非常に敏感である。
 「いや、良くはないけど、でも、まぁ、連続で休むんでなきゃ大丈夫」
 何なの。何でこんなに熱心なの。そりゃ、好いお小遣い稼ぎなんだろうけど・・・・・
 「多分、スタジオは空いてると思うけど、でも、私は午前中に別のエクササイズがあるし・・・・」
 「僕は午後でも大丈夫だよ」
 「・・・・・・・・」
 「この時間帯なら問題ないと思うけど、授業の予定を確認してから電話するね」
 お兄ちゃん、私が言葉を失っても、まるで意に介する様子はない。
 「・・・・うん、・・・・じゃ、取り合えず時間連絡して。スタジオが借りられるかどうか訊いてみるから」
 ミャンマー・ダンスの稽古が増えるのは構わない。構わないどころか大歓迎なのだが、でも、金曜日の朝はラウェイが入っている。
 ラウェイの後にミャンマー・ダンス。気力はもっても体力はもつだろうか。
 ・・・・・僕は大丈夫でも、オカンは大丈夫じゃないのよ、お兄ちゃん。
  


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2013年11月09日

シンドウミンダー(Sin Taw Min Thar)

10月30日(水)

 全身がだるい。体のあちこちが痛い。水曜日の筋肉疲労は相も変わらず強烈だ。
 本日の稽古はシンドウ・ミンダー。正確にはシンドウ・ミンダーのショート・バージョン。新しい踊りである。
 午前中のクラスが終わって、先生を待っている間、余程疲れていたのか、風邪気味なのか、壁にもたれて座ったまま眠ってしまっていた。
 「寝てたの?」と訊かれ、「ちょっと疲れてるのかも・・・・」と答えると、「体調悪いの?大丈夫?踊れる?」と心配はしてくれたが、ここで手加減をしてくれるほど先生は甘くはない。
 シンドウ・ミンダーの振り付けも今まで通り、きっかり一日で習い終えた。
 「調子が悪いなら無理しないで。電話を掛けてくれればいいことだから、こういう時はこれから、稽古を休んでもいいんだからね」とも言ってくれたのだが、「左右8回のべーシュエが終わった後、レッナウッピッが入るでしょ、あれ本当は、カビャーロッで踊るのと同じように、肩と膝を着けるんだよ。アマ、調子が悪いから言わなかったけど」とも言われてしまった。
 言われた以上、と言うか、聞いてしまった以上、ここで手を抜いては女が廃る。いや、女はどうでもいいが、私が廃る。
 気合を入れ直し、基本通りにレッナウッピッを踊って見せると、「そうそうそう。バディータは軽く踊ることが多いけど、シンドウ・カの振り付けはカビャー・ロッと同じのが多くて簡単でしょ。簡単だけど、その分、きちんと踊らないと綺麗じゃない。レッナウッピッだけじゃなくて、アヨウッレッもジンヨォダウンレッピッも同じだよ。ちゃんとアコェ・ジン(基本姿勢)で踊ってね」と満足気に頷く先生。
 膝が軋んで思わず、「いてててて・・・・」と呻き声が洩れたが、しかし、墓穴だろうが何だろうが、やってやるとも、やって見せようじゃないの。
 だが、まあ、こんな感じで、気力だけは十分なので気持ちは先走るのだが、残念ながら脳と体が付いては来ない。
 やりたくても出来ない事だらけのミンダー・アカ、シンドウ・ミンダーもその例には洩れず、オリジナルのエンディングはジャンプしながら一回転し、ストンッと床に座る「ミンダー落ち」だが、先生が私のレベルに合わせて変えてくれた振り付けは、床を転がる決めポーズである。
 床を転がって決めポーズを取るパターンも「落ち」と呼ぶようだが、エンディングに限らず、ミャンマー・ダンスではターンはあまり使わない代わりに床をゴロゴロと転がる振り付けが多い。
 これは舞台設営の違いから来る演出の違いのような気がする。
 伝統的なザッ・ポェのステージはそんなに高さがないし、地面に座った観客との距離も近いので、目の前で回転するなら、寝転んだ方が上下の幅が出てインパクトがあるし、観客との距離がより縮まる。
 跳び上がったかと思えば(これが半端な高さではない)床をゴロゴロと転がって、呆気に取られて見ていると目の前にミンダーの顔が来て、至近距離でにっこりと笑い掛けられたりするのだから、ハートをギュッと鷲掴みにするオイシイ演出なのだ、これは。
 この床をゴロゴロと転がる振り付け(略して「床ゴロ」か)だが、転がり方には幾つか種類がある。
 シンドウ・ミンダーのエンディングは肩から転がる。6拍の短いアピェーハンラとのコンビネーションである。
 ターヤ・ラパのエンディングも床を転がるが、こちらは基本型と全く同じで、16拍のアピェーハンラと腕から転がるもののコンビネーション。
 サゴォワインは腰で転がるし、一度しかやったことはないが、でんぐり返し様のものもある。
 右に転がり、左に転がり、ジィ~ン!でフィニッシュの振り付けは、王道なのか、よく見るエンディングだが、この「床ゴロ」、見た目はどうと言うこともないのだが、やってみると、・・・いや、やってみてもどうと言うこともないのだが、でも、体中が痣だらけになる。
 シンドウ・ミンダーは右肩から床を転がるので、右肩と、そして何故か左肘に擦り傷付きの青痣が出来ていた。
 腰で転がれば腰に青痣が出来るし、腕を着いて転がれば腕に痣が出来る。「ミンダー落ち」をすれば足首に青痣が出来、膝は常に痣になっているので、ラウェイのキックで出来る脛の痣を合わせると、もう、比喩でも大袈裟でもなく、体中、特に足は、何処も彼処も痣だらけである。
 打ち身は痛むし、体がギシギシするのでストレッチを入れていたら、「疲れてるとは思うけど、来月からは彼(お兄ちゃん先生1号)に稽古を頼むから、今日中にフレームだけは終わらせておかないと。もう1回踊れる?」と先生。
 勿論、私に否はない。だが、この「もう1回踊れる?」、その後、何度も繰り返された。
 勿論、私に否はないのだが、しかし、新しい振り付けを入れると、心太のように、古い振り付けが零れて行く。
 疲れもあるが、来週からは先生がいないと思うと何処かしら緊張が弛むのか、自分でも集中力に欠けていると思う。
 その上、まだ決定ではないそうだが、先生、政府の奨学金で韓国の大学へ2年半くらい、コレオグラフィ(Choreography)の研修に行くかも知れないと言う。
 「はっきりしてなかったから、まだ、アマには言ってなかったけど」と言っていたが、そう言えば、申請を出しているという話は以前にも聞いている。その時は気になっていたのだが、その後は忘れてしまっていただけの話である。
 その時の申請が受理されるかどうかが12月に判るらしい。受理されれば先生は、早々に韓国に赴くことになるのだそうだ。
 衝撃の事実に動揺して、余計に振り付けが覚えられない。
 先生のことだから、代わりの先生はちゃんと紹介してくれると思うが、何だかもう、これからどうすりゃいいんだと、迷子の気分である。
 昨日、この先生について行こうと決めたのに、今日、もう、サヨウナラの話とは、「豆狸だしなぁ」などと我が儘を言っていたから罰が当たったのか、それとも、彼は私の本当の師匠ではありませんよという天の啓示なのか・・・・・・・・
 ところで、この研修の話で始めて知ったのだが、先生の専門は踊りではなく振り付けなのだそうだ。
 それでね、成程ね、だからいとも簡単に、私のレベルに合わせて振り付けを変えてくれちゃう訳ね、と納得が行った。
 4、5回、或いはもっと少ない回数でも、試してみて私が踊れないとなると、先生は直に振り付けを変えてしまうのだが、実は私、そうやって易しい振り付けに変えられるのが嫌いである。
 出来もしないくせに癪に障って、「いつか絶対、オリジナルより難しい振り付けを踊れるようになってやる!」と、見果てぬ野望を抱いてしまうのだが、シンドウ・ミンダーは先生が急いだせいもあって、三ヵ所も振り付けが変わっている。
 そんなこんなで後半はちょっとヤケ気味、カラ元気で体力を使い切ってしまった今日の稽古だが、不思議なもので、こんな状態でも踊りの練習をするのは純粋に楽しい。
 カビャー・ロッで習った型はこんな風に組み合わせるんだと興味深いし、どうやって踊っているのだろうと感心して観ていたミンダーの踊りが、一つ一つ、ゆっくりと解けてくるようで感慨も深い。
 「アマ、凄く疲れてるみたいだし、今日はもう、お終いにするね」と、珍しく時間通りに稽古を終えた先生だが、「でもアマ、踊ってると楽しそうだよね」と付け加えて笑った。
 「カビャー・ロッとバディータの3曲、全部、綺麗に踊れるように頑張って。特にマガイ、絶対に忘れないで。マガイはアマに好く似合うから、衣装着けて、アクセサリー着けて、人前で踊って見せられるといいね」
 そう帰り掛けに言われて、先生がマガイに拘っていた理由が解った。
 だから、あんなにしつこく・・・、いえいえ、一生懸命教えてくれたのかと嬉しかったし、改めて頑張らなきゃと思った。
 ミャンマー・ダンス、この調子では、まだまだ止められそうにない。自分でも納得の行く踊りが踊れるようになるまでには、少なくとも数年が掛かりそうだ。
 先生は韓国に行ってしまうのかも知れないが、習い事に関しては気の長い私のこと、きっと先生がミャンマーに戻る頃までなら、ミャンマー・ダンスを続けているに違いない。
 その頃には違う先生を師匠と呼んでいるのかも知れないけれど、出来ることならもう一度、先生に踊りを見て貰いたいと思う。
 何せ、「綺麗に踊れるようになったね、頑張ったね」と頭を撫でて貰いたいのだ、忠犬ハチ公の私としては。
  


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