2013年08月28日

お兄ちゃん先生(2号)

 お兄ちゃん先生(2号)の稽古は、予想したほど厳しくはなかったが、予想を上回る細かさだった。
 お兄ちゃん先生(1号)もそうだったけれど、彼らは教えることに慣れていないので、先生のように適当なところで流すことが出来ない。
 微に入り細に入り、全ての動作を一時に正そうとするため、その要求たるや、老体には無謀な限界突破レベルである。
 以前、大学を卒業した生徒達は何になるのかと、先生に尋ねたことがあった。
 殆どの卒業生は卒業と同時に政府の舞踊団に所属して、国家公務員になるのだそうだが、お兄ちゃん先生(1号)は自分の一座を立ち上げたいと言っていたし、お兄ちゃん先生(2号)は大学で教える側に回るのだと言う。
 2人とも並みでないレベルなだけに、要求も並みではないのだろうが、極めて並み、或いはそれ以下の私としては、体力・気力ともに消耗が激し過ぎて寿命が縮みそうである。
 それ以前に体を痛めることは間違いなさそうだが、でも、困ったことに楽しい。
 胸の張り方、肩の高さ、肘の位置、手首の角度、指の逸らしに至るまで、一つ一つをきっちり体に叩き込んで行く感じが、典型的な職人気質には堪らない。
 全然なってないのに、辛いのに、それでも楽しいのである。
 お兄ちゃん先生(2号)は、「きちんと出来てないと、どうしても我慢できない」のだそうで、1つ気に入らない部分があると、それを10回でも20回でもやり直すので、1対1の稽古にも拘らず、1日で進めたのは10番まで。
 手の形には種類があり、踊りによって使い分けることは知っていたが、正確に、どの踊りにはどの手ということまでは知らなかったし、左右によって使い分けることも知らなかった。先生は使い分けているからよく見ろと言われ、反省すること頻りである。
 踊りの途中のフリーズや、フリーズ状態でのフォーム矯正は、太極拳の先生もよくやるので慣れていたが、動作をコマ送りで確認されたのは初めてだった。
 「はい、1、ストップ!」「2、ストップ!」と、動作を1拍ずつ止めては正すという手法(?)である。
 一流のダンサーの動きは何処で止めても美しいと言うから、これは相当高度な練習方法なのかも知れない。ただ、何処で止めても美しくない私の動きには、当然のことながら、最後までOKが出なかったけれど・・・・・・・・
 「綺麗に踊りたいのなら辛いのは我慢して。辛いのが嫌ならやらなくてもいいよ」と、お兄ちゃん先生(2号)は何度も言った。
 このスタンスは好きだし、半端ではない努力をしてきたのであろう、彼の踊りは流石に綺麗で、尊敬に値する。
 ・・・・・・が、しかし、「違う」「言ったよね」「肘」の、静かな三拍子みたいな指示はちと怖い。
 綺麗に踊りたいって言ってるじゃん。辛くても我慢するって言ってるじゃん(実際に腕が上がらなくなるほど頑張った)。でも、足首も手首も、ブチ折るつもりじゃなきゃ、これ以上は曲がらないの。怠けてるわけじゃないんだってば。



Posted by ASU at 01:37│Comments(1)
この記事へのコメント
 胸の張り方、肩の高さ、肘の位置、手首の角度、指の逸らしに至るまで、一つ一つをきっちり体に叩き込んで行く感じが、典型的な職人気質には堪らない。
Posted by ダウンアウトレット at 2014年10月31日 12:09
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