2015年09月01日

シンドォ・ミンダミー5・6

7月30日(水)、8月4日(火)

 ピョー・ピョー先生が振り付けた落ちまでのパートを見事に完全無視し、尚且つ、自分で考えた振り付けも変更して、シンドォ・ミンダミー、目出たく(?)終了。恐ろしい早さにMさん、虚脱状態である。
 最後の落ちだけで何通りを試したことか。覚える方の身にもなって欲しい。
 二転三転した挙げ句、「これにする」と決定した落ちは、ポワー(ショール)を掲げてから後ろに回し、そのまま左へ一回転して掲げ直すと同時に左足を後ろに上げ、ポワーを頚に掛けて左手で裾を掴み、左足を踏み出して腰を落とし、右手をパン・ワインで上に挙げるという、至ってシンプルなものである。
 裾を放って持ち直す落ちや、床に座って身体を反らせる落ちなど、複雑なものもたくさんあったのだが、これが奇麗だからと最終案に落ち着いた。
 私達の技術的な問題が勿論大きいのだが、それにしても、「Mさんを見て、ほら、奇麗でしょう」と絶賛し、「彼女は女子力(メインマ・インアー)が高いからポーズが様になる。アマは女子力が足りない」と、散々な言われ様だった落ちを全てスルーしてこれである。
 私の踊りが男らしいのはミャンマー・ダンスを始めた当初からだし、私の長い人生に、女子力に満ち溢れた瞬間など一度たりともありはしなかった。大体、女子力が欲しいと思ったことすらないのだ。私にどないせいっちゅうねん。
 『済みませんねぇ、女らしい振り付けが似合わなくて(刺)』という感じだが、私に似合わなさ過ぎるので変更をしている振り付けも多いのが、先生の反応を見ているとよく解る。だって先生、私のポーズを見て一々吹き出すのだ。
 怖々鏡に映る自分の姿を盗み見ると、大抵、雨に打たれた捨て犬のような哀れな表情をしている。罰ゲームでもあるまいに、似合わないのは重々承知の上で、恥を忍んで決死の覚悟でやっているのだ。努力だけは認めて頂きたいものである。
 「アマは2年も習ってるんだから、いい加減、曲が解らないと駄目だよ?」
 Mさんには甘いが、先生、私には厳しい。最後まで叱られながら、シンドォ・ミンダミーは終了した。
 来週からはナッ・アカ、パカン・コー・チィー・ヂョーだそうな。
 パカンは長いぞ、激しいぞ。踊れるんかいな・・・・・・・
  


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2015年08月31日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン12

8月23日(日)

 今日もたらたらとミュー・チョア・トウ・ピャインの稽古。既に12回目、1ヶ月半も経つので、踊り込みすらも終わっている。
 先生もやる気がなさそうで、昨日もそんなに踊ってないが、今日はもっと踊ってない。通しで1回、パート別に4、5回と言ったところか。踊りの合間には人形の練習を2、3度挟んだが、稽古時間の3分の1はただ喋っていただけだと思う。
 何を喋っていたのかと言えば、日本に行く話である。
 先生は私的パスポート(公務員なので外国出張は公的パスポートを使用)を申請中で、パスポートが取れたら日本に行きたいのだと言う。そして、どうせ行くのであれば、ただの観光ではなく、パフォーマンスを披露したいのだと言う。スポンサーが見つかれば言うことなしだが、自費でも別に構わないらしい。
 そういうことなら私も協力を惜しまないつもりなのだが、先生がMさんや私と一緒に踊ると言い出した時には流石に絶句した。先生の頭の中では、日本公演の一座の座員もプログラム構成も、全てが勝手に出来上がっているらしい。だが、先生ほどのレベルであれば兎も角、誰がオバサンズの、しかも素人の踊りを見たがるだろうか。
 「(一緒に踊るかどうかを)Mさんに訊いておきます」と話を終わらせ、ミュー・チョア・トウ・ピャインの練習に戻ったが、先生は妙にかったるそうで、「この曲、理解できたよね?」と、唐突に(今更?)最終確認が入った。
 ヨウッ・テー練習は日本公演を意識してか、ミュー・チョア・トウ・ピャインよりは力が入っていたが、残念ながら私の腕は、長時間のパペット練習には耐えない。
 だが、来週の土日は本番の1週間前。先生は忙しいだろうし、稽古のキャンセルは既に私の想定内。先生の念頭にもそれがあれば、今日がミュー・チョア・トウ・ピャインの最後の練習となるので、最終確認も不思議ではない。

 「先生、来週のミンダミー・アカは何を踊るんですか?」
 先生の目が輝いたのは、「今日はこれくらいで・・・・」との終了宣言を受けて、私がそう質問した時である。
 「Cさんは戻って来ましたが、仕事の都合で来週はまだ稽古に参加できないそうです。再来週からは参加したいって言ってました」
 足並みを揃えるために、Cさんを待って、今までの曲をおさらいしてはどうかと、暗に匂わせたつもりだった。
 「全部忘れちゃったって言ってましたよ?どうしましょうね?」
 だが、先生は肩を竦めて笑っただけで、それには答えなかった。
 「来週は新しい曲に入るよ。ダビィン・タインをやる」
 ダビィン・タインは非常に女性らしい踊りである。女らしさがムンムンするような、私には絶対に似合わない、かなり苦手なタイプの、はっきり言えば嫌いな踊りである。おまけに大学では4年生で習う難しい曲なのだそうだ(なら、何でやるんだか・・・・)。
 「この間も少しやったでしょ?」
 そう言うと、終了宣言をした後にも拘らず、先生は再び踊り始めた。
 「はい、踊ってみるよ。ジェー・ジェー・タッ、ジェー・タッ、ジェー・タッ!」
 声に張りが戻っている。表情が生き生きしている。水を得た魚のように踊り出す先生とは裏腹に、私は魚の死んだような目をして後に続いた。
 うにょうにょと踊る先生の陰で、私の動きは針金のように堅い。「女らしく、柔らかぁ〜く、柔らかぁ〜く踊らなきゃ」と言われても、女子力足らずの私には苦笑いしか出来ない。
 私には恐いほどくねっているように見えるのだが、先生は踊りながら頻りと、「僕は男だから、男の体付きじゃ、あんまり柔らかさが出なくて」とか、「ミンダミーなら、もっと、本当に柔らかく踊るんだけど、僕は男だから」などと仰るので、 「先生と私の体付きは似てるのに、先生に踊れないものが私に踊れる訳ないじゃないですか」と言い返すと、先生は黙って笑って頷いた。
 私が先生に口答えをするのは珍しいことだが、それ以上に、先生が黙って私の口答えに頷くのは更に珍しいことである。そしてこれには、ちょっとした訳があった。
 私よりずっとミュー・チョア・トウ・ピャインに飽きている様子の先生、ミンダミー・アカを踊りたくて仕方がないらしく、昨日、「Mさん、土・日は休養日なの?」と、先週の水曜日に引き続き、稽古に来られないのかと再度の、けれど、遠回しのお尋ねがあった。
 それは無理だと私も遠回しに断ったのだが、ついでなので訊いてみた。
 「先生、ミンダミー・アカの踊りの進みが早いので、Mさん、ついて行けるかなって、物凄く心配してますけど大丈夫ですか?」
 「心配要らないよ、大丈夫、大丈夫 。Mさんは上手だよ。アマも解らない踊りを、時々、彼女が踊れたりするよね?そうじゃない?」
 心配ないと重ねて言って、先生はこう付け加えた。
 「そりゃ、アマと比べちゃ駄目だよ。アマはもう上級者だから、ミンダミー・アカでも、ミンダー・アカでもそれなりに様になってる。ポジションが崩れる事もないけど、Mさんは経験が浅いからポジションを崩し勝ちだし、踊り方も少し堅い」
 ここまでは良かった。滅多に褒められる事のない私は鼻の穴おっぴろげマックス。ふごふごと荒ぶる鼻息を抑えて、気分良く話を聞いていた。
 「僕ら男とは違うからね。Mさんは、本当はもっと柔らかく踊れなきゃいけない」
 「・・・・・・・」
 「彼女の腕は女らしい細くて長い腕だけど、僕らの腕は男の腕だから太くて短い。柔らかい動きを出すのは難しいでしょ?そう思わない?」
 私は吹き出しそうになるのを堪え、「そうですね」とだけ答えた。
 ・・・・・・・「僕ら男は」には、当然、私も含まれてるんですよね?
 先生も私も骨太で短い手足。慎重さもそれほどないし、体付きが似ているとは私も思っていた。けれど、完全に男子認定されているとは・・・・・・・
 ・・・・・・・道理で、ミンダミーのポーズを取る度に笑われてたわけね。
 ここで笑ってしまうメンタル故に女子力が不足しているのは確かなのだろうが、体は男でも心は(推定)女の先生と違って、私は男らしいかも知れないが体は女なんだけどな、一応は。
  


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2015年08月31日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン7〜11

7月25日(土)、7月26日(日)、8月8日(土)、8月9日(日)、8月22日(土)

 ピョーピョー先生に教えて貰った時点でもう、ミュー・チョア・トウ・ピャインの振り付けは覚えていたと思う。何せ、みっちり踊りまくったから。
 先生も7回目くらいからOKの兆しを見せているのだが、発表会が終わるまでは新しい曲に入るつもりがないようで、のんびりとミュー・チョア・トウ・ピャインの練習を続けている。
 大学で教える曲の全てを習い終わってしまったので、新しい曲の準備ができていないのだと思うが、友達が来ているからとさっさと帰ってみたり、私の体調が悪そうだと早く終わってみたり(特にいつもと変わらなかったのだが)と、何ともゆるい感じである。
 だが、流石に間が持たないとみえて、10回目からはミュー・チョア・トウ・ピャインに加え、遂にヨウッ・テー(パペット)の練習が始まった。
 使用する人形はトゥゲードォと呼ばれる童形で、宮廷に使える童子を模したもの。先生曰く、トゥゲードォを操ることができれば、ゾウ、バルーも扱えるとのこと。トゥゲードォはパペットの基本なのだそうだ。
 トゥゲードォを操る紐の数は13本。頭2本、肩2本、腰1本の計5本は“ジェッ”と呼ばれるI型(横から見ればHの形)の木製パーツに結ばれていて、左手で支えるようになっている。
 残りの8本は、掌、腕、股、踵のそれぞれ2本ずつだが、今のところ踵の紐は使わないので左手に掛け、踵以外の6本を右手で持って手足を操る練習をしている。
 右手の紐の取り方は綾取りのようだった。3本を横に引っ張って2本取り、親指を入れ替えて2本を放し、3本を上へ戻して6本にしてから改めて3本を取る。こうして紐を持った後は右手の返しだけで人形の手足を操るが、掌を返すだけでアヨウッ・レッのポーズを取らせることができるようになっている。
 学生達はここまでに4ヶ月(ここでもか!)を掛かるらしいのだが、綾取りの経験さえあれば、紐の持ち方に4ヶ月も費やす日本人はいないだろう。ただ、ジェッの扱いにはコツが要る。これに慣れるには少々時間が掛かると思う。
 ジェッが安定しないと人形はそっぽを向いてしまう。酷いとぐるぐると回り出してしまうし、腰砕けにもなる 。だが、木製の人形は意外と重くて、腱鞘炎の持病がある私は長くジェッを掴んではいられない。
 上げ下げや捻りを加えながらも、ジェッは一定の角度・高さを保たねばならないので、15分程度でも腕の筋が攣るには十分な練習となる。
 先生に腕が痛いと訴えると、腕が疲れるのは当然、大学では人形に慣れるまで練習用の小さなサイズの人形を操るのだと言われた。私が借りているのは先生のコレクションの内の一体で、舞台で使う本物である。思わず溜め息が出た。
 左手1本で重い人形を吊り下げているだけで辛いのに、人形も人間と同じようにスキップをさせなければならない。足だけを巧く床に着地させないといけない。首を傾けるにはジェッを傾けなければならないし、身体を真っ直ぐにする腰の紐も左手に掛かっている。
 難しいが左手ばかりに気を取られているわけには行かない。右手が疎かになると今度は、人形の手足が動かなくなってしまう。
 掌の返しで人形を動かすのは梃子の原理なので、手の小さい私は思い切り掌を返さないと人形の足が上がらない。踊り同様、人形を操るのにも手首のスナップが重要となり、練習するうちに左手とは違った痛みが右手にも走り始める。
 パペットの基礎練習4ヶ月の中には、繰り返し綾取りをする事だけではなく、延々と人形を上げ下げする事や、ひたすら掌を返す事も含まれるらしい。
 私は基礎練習が好きで、繰り返し練習することが苦にならない質ではあるのだが、踊り以上にパペットの自主練は控えている。先生からは練習しておくようにと言われているが、竪琴の無念を繰り返したくはないので何の自主練習もしていない。
 楽譜すらまとめに読めない私が、まともに弾けるようになった初めての楽器が竪琴だった。
 音楽や楽器には素養も才能もないので、毎日毎日朝晩練習を欠かさず、2年半も掛けて弾けるようになったのはたったの5曲。それでも竪琴が好きだったが、好きだっただけに頑張り過ぎて、腕を痛めて竪琴が触れなくなってしまった。今では苦心して弾けるようになった5曲もすっかり忘れてしまっている。
 竪琴が弾けなくなった時は本当に悲しかったし、未だに口惜しい。ノー・モア・タテゴト。
 なので、竪琴以上に好きなミャンマー・ダンスを人形のために踊れなくなるなんて冗談じゃない、まっぴらご免なのである。  


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2015年08月31日

シンドォ・ミンダミー4

7月22日(水)

 「バスで来たから、ちょっと遅れちゃった。ごめんね」
 済まなさそうな顔で部屋に入って来たのは、ミュー・チョア・トウ・ピャインを教えてくれた、あのお兄ちゃんだった。
 先生のお供で来たのかと思いきや、お兄ちゃん単独でびっくりである。
 例の如く先生からは何も聞いてないし、細かい事を言えば、 私はタクシー代を上乗せして稽古代を払っている。いろんな意味でこれってありなのかと首を捻った。
 先生に言われて来ただけのお兄ちゃんに罪はないので、「バスで来たんなら、そりゃ、大変だったね」と相槌だけを打って、後は黙って稽古の開始を待った。

 「はい、これ、先生から」
 そう言って、お着替え前にお兄ちゃんが手渡してくれたのは、金彩とビーズの縁取りも華やかな黄色のショール(ポワー)である。
 私達の派手なタータン・チェックのタミンを評して、「漫才師(ルー・シュイン・ドォ)みたい」と、好き勝手に言い放っておきながら、先生が用意してくれたのは真っ黄色のショール。お陰で、ピンクと黄色にたまたま着てきた水色のTシャツがよく映えて、鏡に写る私の姿はピエロも顔負けの鮮やかさだが、その元気そうな色合いに似合わず、汗だくの私達は踊り始めからグロッキーだった。
 暑い。エアコンの設定温度は16度になっているが、それでも暑い。
 何せ、『ミンダミー養成ギブス』と名付けた私達のタミンは厚くて重い。それだけでも暑いのに、タミンの下にはレギンスを穿いているのだ。
 これに化繊100%のショールを掛けて踊ると、顔は逆上せて赤くなり、暑さで意識は朦朧とする。気分はすっかり真夏の蓑虫である。
 「ピョー・ピョーって呼んでね」とやけに人懐っこいお兄ちゃんは始終朗らかで気が楽だが、彼の稽古は体力消耗が尋常でない。
 休む暇も与えずガンガンと踊り進め、先生が考えた振り付けを、「それ、奇麗じゃない」と却下して、自分で振り付けを決め、最後の落ちまで終わらせてしまった。
 先生は今まで何人も弟子を連れてきたが、先生の振り付けを全否定した弟子を私は始めて見た。それも一言、「奇麗じゃない」とバッサリ切り捨てて悪気なし。完全な天然キャラである。
 途中、私達が裾捌きをよく理解できないでいると、「タミン、ちょっと脱いで」と、私の穿いていたタミンを着けて踊りだした。
 ウェイ先生もこんな事があったと思う。だが、相当に大らかな性格な筈のウェイ先生の上を行く遠慮のなさ。おまけにタミンを着ける事に何の抵抗もなさそうである。

 「ごめんね。今度からは、予備のタミンを持って来とくね」
 汗で湿ったタミンを貸すのは気が引ける。けれど、私がそう言うと彼は笑って答えた。
 「ううん、大丈夫。自分のがあるから」
 ・・・・・・・ちょっと待て。どうして君がタミンを持っているんだい?

 喋り方、仕草を見ていて、どうもそっちっぽいとは思っていたが、どうやらパーフェクトにそっちだったらしい。
 気は好いし、明るいし、天然だし、残念ながらタミンはあんまり似合わないけど(ウェイ先生は妙に似合った)、男の娘は好きだし、こういう子、飽きなくていいわぁ。  


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2015年08月31日

シンドォ・ミンダミー3

7月21日(火)

 今日は物凄く久しぶりに、大学で人形を教えている先生の友達が登場。先生曰く、大学が休みで暇そうだったから連れて来たとの事。暇そうだからって、遊びに来るわけじゃあるまいに、稽古に連れて来る理由になるのだろうか。
 ヨクワカラナイが気にしても仕方がない。だって、これが先生なのだ。それに、人形の先生と顔見知りになっておくのは悪い事じゃない。

 今日の稽古は先回までのところをおさらいして、タミン・レービャンからの続きである。そして、タミン・レービャンの次のジンヨォ・ダウン・ゴウン・モウッで苦戦して、新たに終了した振り付けはこれ一つに止まった。
 ジィンヨォ・ダウン・ゴウン・モウッには時間が掛かったが、おさらいの方でもタイン・タッで結構な時間を取った。これは、私がリズムを掴めなかったからである。
 ワッラッ・チェーと言う呼び名があるのかどうかは知らないが、溜めの入るゆっくりめのワッラッは基本リズムなのに、私はしょっちゅうこれを間違える。
 「アマはMさんより曲が解らなきゃだめだよ」と叱られたが、私ゴトキですもの、そりゃ、間違いますわよ、先生。
 このワッラッ、チュイーン・ビャインとリズムを取る基本中の基本のリズムだが、曲からシィー・ワー(拍子)を聞き取れない私は、つい、イチ・ニと拍子を取ってしまう。
 イチ・ニやワン・ツゥーでカウントするとテンポが速くなってしまうのだが、これと同じ速さのチュイン・ビャインで踊るワッラッも多いだけに、なかなか間違いに気が付かない。何度も「違う」を連発されるのに何が違うのか解らない時、私は大抵これを間違えている。
 口に出して言えばチュイ〜ン・ビャインッなので、イ〜チ・ニッ(ワ〜ン・ツッ)とカウントすれば正しい速度になる。或は、チュイ〜ン・ティッ(1)、チュイ〜ン・ニッ(2)、チュイ〜ン・トォンッ(3)とミャンマー語でカウントするともっと良いのだが、解っているのに忘れてしまう。どうして忘れるんだか自分でも解らないが忘れる。
 カウントの仕方(速度)を思い出しさえすれば、不思議なくらいに踊りは流れ始める。実際、タイン・タッの間違いが何なのか理解した後は絶好調だった。
 私は一つ躓くと総崩れになる、打たれ弱い、プレッシャーに弱い性格なので、訳も解らず「違う」を連発されたりすると、オロオロしてボロボロになってしまう。
 そうでなくても先生から受けるプレッシャーは相当なものなので、一旦崩れると立て直すのが大変なのだが、不死鳥の如く(?)復調した後は、前述の通り絶好調である。
新しい振り付けのジィンヨォ・ダウン・ゴウン・モウッも一発で踊れてしまい、先生の友達が、「彼女はカ・ゴェ(振り付け)を間違わないねぇ」と、ヒソヒソ話すのを小耳に挟んで鼻息フンガーッ。凹み掛けた後だけに(まさに地獄の淵を覗いた感じ)、大気圏突破かという勢いで昇ったが、今度はここでMさんの方が引っ掛かってしまった。
 持ち前のリズム感の良さ、掴みの早さ、優れた記憶力で難なく進んで来たMさんだが、ここに来て痛々しいほどの悪戦苦闘。
 ジィンヨォ・ダウン・レッ・ピィッにベー・チョウを組み合わせた腕、タシィン・ドァーで前へ進みながらゴウン・モウッを加えた振り付けは4回ずつの8回。途中、ターンが入って逆向きになるというおまけ付きである。
 私にはミャンマー・ダンスの習い始めから、複雑な振り付けの方がスムーズに踊れて、単純な振り付けに手間取るという妙な傾向があり、「うわっ、こんなん踊れるの!?」と思う振り付けが、意外にも踊れてしまって褒められる事が多い(何でもない振り付けが踊れず、失望される事はもっと多い)。
 お手本を見てウッと詰まったし、踊れた後の先生の反応を見ても(先生の友達も、ここだけは部屋の隅っこで一緒に踊っていた)、これは前者のパターン。つまり、複雑で難しい振り付けだという事である。初心者のMさんが躓くのは不思議でも何でもない。
 頑張りやのMさんは顔がげっそりと憔悴するほど踊ったが、結局、最後までOKは出ず、「後は宿題ね」で稽古は終了となった。
 余談になるが、先生はこの振り付け、「これね、きちんと踊れば、超奇麗なんだよ!」と、何度も力説していたが、私達には残念ながら、その美しさが全く理解できなかった事を付け加えておこう。  


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2015年08月31日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン6

7月19日(日)

 昨日の疲労が抜けず、今日は踊り始めから身体が重かった。当然、動作の切れは悪く、曲に遅れて失敗続き。お陰でやり直しが増えること、増えること。
 私が失敗しても、お兄ちゃんが眉間に皺を寄せたり、溜め息を着いたりすることはないので、先生相手のような緊張感に苛まれることはない。しかし、だからといって気を抜いていた訳ではない。
 身体が重くても、休憩がなくても、黙々と踊り続けていた。が、疲労は蓄積されるのだ。
 昨日の疲労に今日の疲労が重なって、踊れば踊るほど踊れなくなるというジレンマ。キンミーカウッなど、足も上がらなければ、回転もままならず、よろめきながら立ち上がる様は酔拳さながら。それでも立ち上がれればマシな方なのである。
 「踊れない訳じゃないね。忘れてるだけかな?」
 踊れたり踊れなかったりを繰り返す私を見て、お兄ちゃんが小首を傾げながら言う。
 朦朧としているので、ちょこちょこ振り付けを忘れるのはご指摘の通り。動けないだけで踊れない訳じゃないのも仰る通り。でも、一番の問題は、延々と踊り続けることによるスタミナ切れだ。

 「疲れた?もうちょっとだけ踊れる?」
 2時半頃になると、お兄ちゃんは今日も尋ねた。
 「・・・・はぁ、まぁ・・・・・・」
 「じゃあ、少し休憩して、通して踊ってみようね」
 「・・・・はぁ」
 「昨日は足、痛かった?」
 「・・・・足、痛いって言うか、物凄く怠くって、夜、寝られなかったわ」
 筋肉痛の痛み方とは明らかに違う、動いてもいないのに骨が疼くような鈍痛がして、本当に辛くて眠れなかったのだが、お兄ちゃんは「そうなの?」と笑っただけである。
 私と同じだけ踊っても殆ど汗も掻かないような彼に、『やっぱり、マッサージに行っときゃ良かった・・・』と寝床で呻く、オバサンの鬱々とした気持ちなど解るまい。

 暫く休んで通しで踊ってみると、まともに動けたのはナジィーの途中まで。それでも気力で踊り続けたら、最後のジャンプで足に力が入らず、しゃがんだきり跳び上がることができなかった。
  お兄ちゃんが、「休んで、休んで」と曲を止め、脱いであったシャツをバサバサはたき始める。
 「着替えるなら、あっちの部屋使っていいよ」と声を掛けたら、何故か怪訝な顔をされた。
 もう終わりかと思ったのだが、まだ終わりではなかったらしい。こんな状態で練習を続けさせるつもりかと、こっちの方が驚きである。
 彼はいつも長袖のシャツとパソーで現れる。そして、Tシャツと短パンに着替える。部屋は他にもあるのだが、何故だか毎回、稽古場にしている部屋の隅で着替えている。
 全裸になるわけでもなし(まぁ、上半身裸というのも日本ではあまり見ないが、ミャンマーではよく見掛ける)、私は別に構わないのだが、背を向けているとはいえ、鏡の前で着替えているので、反対側の隅でスタンバっている私には、お兄ちゃんの着替えの一部始終が目に入る。
 昨日はお兄ちゃん、稽古場に入る前に着替えて来たので、『そりゃそうだよね。お年頃の男の子がオバサンの前で着替えるのは嫌だよねぇ』と気の毒に思った。
 お兄ちゃんと同年代のウチの息子など、自分の部屋に居るのに、わざわざバスルームに籠って鍵を掛けて着替えをするくらいだから、お兄ちゃんだって 別室で着替えたかろうと、今日は隣の部屋を空けておいたのだ。

 「エアコンもつけてあるし、着替える時は隣の部屋を使ってくれて良いから」
 稽古が終わりでないにしても、口から出てしまった言葉は戻らない。仕方がないので重ねて言い添えて、お兄ちゃんを別室に案内した。するとお兄ちゃん、怪訝そうな表情のまま、こう訊ねた。
 「ここで着替えなきゃ駄目なの?」
 「・・・は?」
 今度は私が怪訝な顔をする番だった。
 「駄目ってことはないけど、でも、あっちで着替えてると外から丸見えだよ?」
 「チィーバゼー」
 「・・・へ?」
 “チィーバゼー”は直訳で“見させなさい”だが、この場合は“(見たけりゃ)見りゃいいじゃん”くらいのニュアンスだろう。
 「僕、気にしないから、ここで着替えていいよね?」
 稽古場ルームに戻ったお兄ちゃんが、お着替え定位置の左前コーナーを指差した。
 「・・・いいよ。いいけどさ、でも、時々、あそこのベランダ、人が立ってるよ。私もここで着替えてて、目が合ってびっくりしたことがある」
 お兄ちゃんはアハハと屈託もなく笑った。

 ・・・・・・・若いっていいよなぁ。お見せしちゃ迷惑なんて発想、ないんだろうなぁ。
 お兄ちゃんが私の前で着替えても、それは、サービス(?)みたいなものだろうが、オバサンが人前で着替えれば、それは、迷惑以外の何ものでもない。私がお兄ちゃんの前で着替えたりしたら、立派なセクハラかモラハラになってしまう。
 ・・・が、ちょっと待てよ。よく考えたら、 私だって迷惑を被ってるような気がする。
 お兄ちゃんが構わなくても、着替えを凝視するわけには行かないし、それとなく目を逸らしても、鏡越しに盗み見しているようでやらしいし、かといって、ずっと後ろを向いているのもわざとらしいし、席を外すのも大袈裟だし、何にしたって意識過剰の中2病みたいで恥ずかしいじゃないか、こっちが。
 いや、それ以前にこんな状況、外から見られたらデリヘル呼んでるのかと思われそうだ。ヤンゴンにだって、その手のサービスがないわけでもないらしいし・・・・・・・
 ああ、オバサンの苦悩には果てがない。  


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2015年08月12日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン5

7月18日(土)

 「アマ、今度の土曜日、弟子を来させてもいいかな?」
 水曜日の稽古の終わり、先生にそう聞かれたので、「構いません」と答えたのだが、教えに来てくれたのはずっと一緒に踊ってくれていた、あの大学生のお兄ちゃんである。
 そうだろうとは思っていたし、フレーム・ワークも終えているので、踊り込み練習を見てもらうには丁度好い。
 上級者なんだからと言われ始めたサンドォ・チェイン辺りから、ミンダー・アカはやたらとクルクル回る振り付けが多くて、慣れるためには練習量が必要なのだが、何度も踊ると目が回る。
 立ったり、座ったりが多いのも一緒だ。身体で振り付けを覚えてしまえば楽になるので、たくさん練習をした方が良いのだが、練習量が多いと膝が笑って踊れなくなる。
 お兄ちゃんは若かった。疲れを知らない若者に、オバサンの疲労を思いやれと言っても無理だろうが、ノンストップで踊り続けてふらつき出し、時計を盗み見たら、まだ、1時間も経ってなかった。・・・と言うか、ノンストップで1時間近くも踊り続けているのかと目眩がした。
 いやいやいや、しかし、お陰で出だしのパートが頭に入ったし、曖昧だったトォン・ジェッ・シィーの振り付けもクリアになって、嬉しいのは嬉しいのだ。
 それで気力を振り絞り、もう一踏ん張りしてみた。時計を見たら2時20分を過ぎていた。残り10分を切っている。後、ほんの一息。深呼吸をしてラストスパートに備える。
 その時、お兄ちゃんが尋ねた。

 「先生は何時まで教えてるの?」
 「1時間半だから、1時に始まれば2時半までだよ。始まるのが遅れれば、終わるのも遅くなるけど」
 「じゃあ、僕、来るのがちょっと遅れたから、3時までやっていい?」
 「え?」
 「時間は大丈夫?何かある?」
 「・・・う、ううん、時間は問題ないよ」
 ・・・・・・・体力には問題があるけどね。

 今日の練習は(緊張してないせいか)概ね順調だったと思うが、2番目のナジィーやワッ・ラッのパートの振り付けがもたついたこともあって、アテインは数度踊っただけである。お兄ちゃんにしてみれば、それでは踊り足りない気がするらしい。
 私もアテインが十分だとは思わないが、落ちの前には2連続ジャンプが含まれる。私にだってやる気はあるが、体力は持たないのである。
 「あぁ、もういいよ、もう踊れないよね?」
 案の定、完全に与太付く私を見て、3時を待たずにお兄ちゃんのストップが掛かった。
 「明日も同じ時間に来るね。明日、もう一回練習すればスムーズになるよ」
 親切なお兄ちゃんは私をそう励ますと、にっこり笑い、手を振って帰って行った。
  


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2015年08月12日

シンドォ・ミンダミー2

7月15日(水)

 「CD、持って来たよ」
 そう言ってオーディオの前に座り込んだ先生は、延々と首を捻っていた。
 曲を掛けては、「違う」、掛けては、「違う」を繰り返し、最終的には友人に電話を掛けて確認していた。
 「友達が間違えたみたい。この中には入ってないんだって」
 先生がそう言って立ち上がったのは、オーディオを弄り始めて20分後くらいのことだったと思う。
 「アマ、シンドォ・ミンダーのCD出して」
 今日もシンドォ・ミンダー・ヴァージョンの伴奏で踊ることになり、振り付けは振り出しに戻った。一番最初に習った振り付けに、多少の手を加えたような感じである。
 『これで覚えていいんだな?』と、頭の片隅で注意勧告がなされたが、覚えないわけにも行かない。
 幸いその後は大した変更もなく、ワッラッ・パートのパロウッ・チェが巧く踊れずアヨウッ・レッに変わったくらい。
 そして振り付けはタイン・タッ、ジィンヨォ・ダウン・レッ・ピィッ・ナウッ・ソウッ、タミン・レービャンと、かなり無理なスピードで順調(?)に進んだが、次のジィンヨォ・ダウン・ゴウン・モウッで苦戦するうちにタイム・オーバーとなった。
 先生はこの振り付けを「これ、きちんと踊れば超奇麗なんだよ!」と絶賛するのだが、私達には残念ながら、その美しさが理解できないまま、稽古終了の時を迎えたのであった。
  


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2015年08月12日

シンドォ・ミンダミー

7月14日(火)

 Cさんが今日から夏休み帰国とのことで、これから1ヶ月ほどはMさんと2人での稽古となる。
 Cさんもいないことだし、シィー・ミー・コェの練習をするのかな、それとも、カビャーロッの練習をするのかなと思いきや、想像を遥かに超えて次の曲となった。
 「ベー・シュエのとこだけね、そこだけがちょっと足りないから、時間があったら練習しておいて」との条件付きだが、先週1回と本日の数度の通しでシィー・ミー・コェは終了である。Mさんドン引き、私あんぐり。
 そして、始まったのがシンドォ・ミンダミー。シンドォ・ミンダーのミンダミー・ヴァージョンである。
 先週、「今度はタミンを着けて踊ってみようね」と言われたので、てっきり、タミンでシィー・ミー・コェを踊るのだと思って着けてみたのだが、“今度”=“次の曲”だったらしい。
 シィー・ミー・コェはテーマがテーマなだけに、裾を翻して女性らしさをアピールする必要がないのだろう、長い裾で踊る場合もあるが、短い裾で踊っていることも多い。
 両手に灯を持っているので裾をバッサバッサ蹴っ飛ばすことも、掴んで踊ることもできないので、ヒラヒラと裾を翻すのが大好きな先生としては、折角、私達がタミンを着けているのだから、地味なシィー・ミー・コェより派手なシンドォ・ミンダミーを教えたくなった(踊りたくなった?)らしい。
 シンドォ・ミンダーとシンドォ・ミンダミーは、曲は同じだがヴァージョンが違い、ミンダミー・ヴァージョンの方が長くなっているのだと言う。そう言われてみれば、先生に頂いたシンドォ・ミンダーのCDには<アトウッ(短い)>の括弧書きがある。
 シンドォ・ミンダーの伴奏でシンドォ・ミンダミーを踊ると、当然のことながら音が足りないので、先生は振り付けを考えながら教えてくれた。
 即興で振り付けを考えてくれるのだから流石は振付師と言いたいところだが、要はシンドォ・ミンダミーを教えようとは思っていなかっただけの話で、言うなれば『流石は芸術家』なのである。女心と秋にも負けない気儘さが羨ましい。
 お陰で何度も振り付け変更をされて混乱する私達に、「明日は伴奏CDとショール(ポワー)を持って来てあげるね。ショールがあるとミンダミー・アカは物凄く奇麗なんだよ」と先生、嬉しそうに語ってくれたのであった。
  


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2015年08月12日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン4

7月12日(日)

 今日もお兄ちゃんと一緒に踊った。これで4回、2週連続でお兄ちゃんと一緒に踊っている。これだけ一緒に踊っていると、何となく親しみを覚える。
 稽古はアトエッ(出だし)を除いた今までのパートのおさらいから始まり、最後のアテイン(終い)まで。
 踊ろうとすると、「踊らない、踊らない。疲れるからイメージだけでいいよ」と止められ、「後で練習するから大丈夫。大学でも同じだよ。学生達もアトエッは1回しかやってない」と、アトエッはまたしても後回しである。
 『だから、どうして大学と合わせる必要があるんだか・・・・』と、内心、穏やかでない私。
 ・・・・・・・だって先生、忘れたら絶対に怒るじゃん?
 人の話を聞かないのは相変わらず。練習方法も譲れないんだろうなぁと諦め、そっと溜め息をつく。

 今日の練習、メインはアテイン(終い)だった。アテインはチェー・グイン・ヤイッから始まり、転がってゴウン・モウッ、ジャンプして落ちである。
 チェー・グイン・ヤイッは最初6回と言われたが、1、2度踊っただけで、1回やって5回休むに変更となった。
 グループ・ダンスのため、ステージでは6組が1回ずつ順に踊る構成になっているらしく、(私がヨロヨロになったためだが)1人で6回は大変だろうという先生の気遣いである。
 チェー・グイン・ヤイッは、右足を前へ上げて左手首と右足首を着け(対角線上で手首と足首を繋げ、身体を含めて輪を作る感じ)、左右の腕を逆に構えると同時に、右足を後ろへ引いて床に膝を着けるという型(勿論、左右両方向がある)だが、右足1本での屈伸を6連続はちとキツい。足に力が入らなくなるので踏ん張りが利かず、思うように身体を捻ることもできない。
 お陰で尻餅を着き、5回は休んで良いことになったのだが、そこから横に2度転がり、立ち上がってジィンヨォ・ダウン・レー・ビャン・チィーの足付きゴウン・モウッを8拍、ジャンプを2回して、回って落ちとなる。
 ジャンプはレッ・パイッ(腕組み)の両足跳びで、しゃがんだ上体から飛び上がって両腕を開く。回転を入れる必要はなく、ただ正面を向いて跳べば良いのだが、その分、高さが必要だ。
 両足で踏み切って上へジャンプする場合、気を抜くと、私はバレエの癖で足を真っ直ぐ伸ばしてしまうので、跳んだ時に膝をしっかり曲げろ、踵を尻に着けるつもりでと注意を受けた。
『そう、そう、そうでした。また、やっちゃった』と気合いを入れてジャンプした。結構、調子よく跳べたと思ったのだが、先生にプッと笑われた。そして、「天井に届くくらい跳んでね」と言われた。
 ・・・・・・・跳べるかっつうの。
 私が力一杯跳んでも、ひょいっと跳ぶお兄ちゃんの3分の2くらいの高さにしかならない。
 そりゃ、18歳のお兄ちゃんと並んで跳ぶんじゃ、どう考えたって分が悪いのだが、年齢差を思えば相応じゃないのかなぁ・・・・・・  


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2015年08月12日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン3

7月11日(土)

 「アマ、発表会でこの曲踊ってみる?」
 今日もお兄ちゃんを連れて現れた先生、何故か上機嫌で珍しく冗談を言い出した。
 「2年生、3年生がちっとも踊れなくってね。アマを12人に入れた方がよっぽど早いんじゃないかって、ねぇ?」
 話を振られたお兄ちゃん、可哀想に頷くしかないだろう。
 ・・・・・・・この私に、二十歳そこそこのピッチピチ・ボーイズに混じって踊れってか?
 オカンと息子達のシュールな絵が脳裏を掠め、私は枯れた笑い声を立てた。
 「アマは上手だよ。トォン・ジェッ・シィーとかね、アマは最初から踊れたけど、何度踊っても左右逆になっちゃう学生がいてね」
 これを聞いた私は、『左右が咄嗟に掴めない神経疾患があるんですよ』と、先生に教えてあげたくなった。
 私もそうだが、頭で右左を考えているうちは踊れない。身体で覚えてしまわないと動けないのだ。その学生も同じだろうと気の毒になったのである。
 そして褒め言葉の後にはお決まりの、「アマは何で最初から踊れると思う?いろんな曲をたくさん踊って来たからだよ」が始まり、「大学じゃ2年の途中までカビャーロッしか教えない。でもアマは2年で、大学4年間で習う曲を全部終わっちゃった。アマは得してるよ。だけど、折角苦労して覚えた曲も、忘れちゃった意味ないんだからね?」と続く。
 『別に得をしたいわけでもないんだけどなぁ』と思いつつ、シィー・トォン・ジェッのおさらいを終え、ナジィーのおさらいを終え、新パート、ワッ・ラッに突入。しかし、これがまた踊れなくて、先生のご機嫌が見る見る間に曇り始めた。
 ワッ・ラッは4つ。1番と3番のワッ・ラッは裏打ち。4拍で1回転しながら円を描いて進めと言う。つまり、自転しながら公転しろと言うのである。
 自転する間には当然、腕の振りも入れば足の振りも入る。顔の振りもスキップも入る。例えば、1番のワッ・ラッはパン・ゾエ・ゴウン・モウッだが・・・・・・・
 ①ステイ(最初の1回だけ)、または左足を降ろす
 ②右を向いて右膝を上げ、両手を膝に添えて俯く
 ③腕を開きながら左を向く
 ④左手をパン・ゾエにし、仰向いて左足を後ろに上げる
 ・・・・・・・となっている。
 くるん、くるんと2拍で半回転ずつして4拍で1回転。これを4回転する間に大きく円を描いて進めと言われるのだが、頭では理解できても、腕や足に気を取られ、顔の上下や自転で方向感覚が狂って、どちらへ進めば良いのかが解らなくなってしまう。
 半回転の自転で躓く私が公転まで辿り着けるのはいつの日か。これが一発で踊れたら私も鼻が高いのだが、3回踊っても、5回踊っても、7回踊っても踊れない。
 お兄ちゃんの後ろについて踊ってみろと言われたが、回るのに忙しくてお兄ちゃんを見てる暇なんてない。やっぱり踊れなくて、先生、ご立腹である。
 「もう良いから、その場で踊って」と、匙を投げられて自転に専念する。
 こんな私でも、自転だけで良いなら踊れるようになるまで、それほど時間は掛からない。
 1番が踊れたので2番に進む → 2番は左右のスキップなので問題なし → 3番に進む → 3番もややこしいが、これも公転が入らなければ何とかなるので4番に進む → 4番は一方向にだけ進むステップなので、これも特に問題なし
 こうしてワッ・ラッのパートが終わると、先生がお兄ちゃんに目配せをした。
 「終わっちゃった」
 お兄ちゃんが黙って頷く。
 「2年生、3年生の子供らね、まだ、ここまで終わってないんだよ。上手、上手」
 「・・・・・」
 私も黙って頷いた。
 上手だと言うのなら、何であんなに不機嫌になる必要があるのだろうか。先生の機嫌は晴れたようだったが、私のトラウマは癒えそうになかった。
  


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2015年08月12日

アミョーダミー・シィー・ミー・コェ2

7月8日(水)

 昨日は先生ではなく、自分がネィ・ピー・ドゥに行く羽目になってしまった。
 Mさん1人では色々と難しかろうと判断して昨日の稽古はキャンセル。そして今日、Cさんは来られないので、Mさんと私の2人で シィー・ミー・コェのフレーム・ワーク、Mさんバージョンである。
 結論から言うと、先生はMさんのフレーム・ワークも1回で終わらせてしまった。
 ベー・シュエが気に入らないようで、そればかりを繰り返していたが、他のところは概ね素通り。Cさんも、Mさんも、何でこんなに覚えが良いんだろうと羨ましい限りだ。
 シィー・ミーの最初のパートには、ヨガの飛天のポーズみたいな振り付けがあって、これがわりと身体の柔軟性を必要とする。曲調がナジィー・チェー(長いナジィー)なので、ポーズをキープする時間が長く、意外なほどに筋力も必要とする。
 Mさんは柔軟性はあるが筋力がないので、 ポーズを維持するのが難しそうだった。先生は納得が行かないらしく、ベー・シュエの次にこの振り付けの練習に力を入れていた。
 膝を開いて正座した状態で、正面からゆっくりと身体を右へ向ける。膝を前後に開いて上体を床の上に伏せ、灯明を持った両腕も前に伸ばして床に置く。右肘下を回し上げながら上体も起こし、両腕を広げて膝立ちになる。上に挙げた右手を仰ぎ見ながら、左膝を床に着けたまま、左膝下を上げて爪先を伸ばす。
 これを左右同じように行うのだが、先生は何故か、私のこの飛天もどきのポーズがお気に入りである。マガイやバガンにも似たようなポーズがあるが、この手のポーズを取る度に褒めてくれるのである。
 褒めてくれるだけなら嬉しいのだが、先生の記憶の中でイメージが昇華してしまったのか、「アマ、前は爪先と頭が付きそうなくらい身体が反ったのに、最近はできなくなったねぇ」と、残念がられてしまう今日この頃である。
 最近は首や肩が痛くて前より反らせられなくなったのは事実だが、それでも生まれてこの方、私の背がそこまで反った試しなど一度たりともありはしない。
 だが、「コウッ・チャー・ライ(反らして!)」と注意を受ければ、精一杯反らさないわけにも行かない。そして今日は何度もこれをやらされて、右足の筋を痛めたような気がする。
 カイン・パン・ゾンで痛めた右膝を更に痛めたようで、右膝から腰の右上までが軋む感じ。力を入れると膝に痛みが走るだけでなく、背中の右側が突っ張るのだ。
 私と一緒にこれを特訓させられたMさんも、やっぱり内股の筋肉を痛めてしまったらしく、つくづく歳は取りたくないものだと、互いに傷を嘗め合う二人であった。
  


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2015年08月12日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン2

7月5日(日)

 アトエッ(4)、トォン・ジェッ・シィー(7)、ナジィー(8)、ワッ・ラッ、ワッ・ピェー、アテイン。これが、ミュー・チョア・トウ・ピャインの構成である。
 私にはどれが1種類なのか、どこからどこまでを一式と数えているのか、未だによく解らないのだが、アトエッ4つ、シィー・トォン・ジェッ7つ、ここまでが昨日の稽古で終わったパートである。
 今日はアトエッ(出だし)を省いてトォン・ジェッ・シィーからスタートし、ナジィーの前半まで進んだ。
 今日もお兄ちゃんが一緒に踊ってくれたので、振り付けはうろ覚えでも踊れない事はない。
 ただ、床に腕を着けて伏せるだの、床に肘を着けるアヨウッ・レッだの、やたらと激しい上下運動が連発するし、サゴォ・ワインの逆回し、ターン落ち、懐かしのキンミーカウッ(サソリ)と、回転ものも多くて足に来る。何度か踊ると足に力が入らなくなる。
 18歳の男の子と一緒に踊らされる、彼等のオカンと同年代のオバサンの身になって欲しい。好きでやっている事とは言え、オバサンの持久力と記憶力には限界もあれば問題もあるのだ。
 それでも、そこを押して歯を食い縛って踊っているのに、「彼は2年生だよ。アマも踊りを始めて2年になるんだから、彼と同じくらいは踊れなきゃね」と言われてしまうのである。
 笑ってはいたが、先生が冗談を言っているようには見えなかった。
 ・・・・・・・何を仰るウサギさん、いえ、ソラマメさん。お兄ちゃんと私じゃ、2年間の稽古量が全く違いますわよ?
 疲労感や脱力感と戦いつつ頑張ったが、ナジィーの後半を曖昧に踊ったところで稽古終了。
 「疲れたよね。今日はここまでにしておこうか?」
 自分が終わりたい時には優しい気遣いを見せる先生である。
  


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2015年08月12日

ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャイン

7月4日(土)

人形遣いはミャンマー役者の芸の内、他にも謡や演技などを加えて“ダビィン・ピンニャー(役者の教養)”と言うらしいが、伝統舞踊の踊り手にとってパペットの教養は必須である。
・・・・という訳で、カイン・パン・ゾンが終わり、大学で習う踊りを(ペアまたはグループで踊るものを除いて)全て習い終えてしまった私は、今日からパペットを教えて貰う筈だった。
 私は踊りの方が好きだが、パペットも嫌いではない。興味はあるし、ゾウ・カのパペットについての、先生の熱心なレクチャーを拝聴したこともあって、わりと楽しみにしていたのだが、本日、「パペットはちょっと擱いといて」との前置きで始まったのは、ミュー・チョア・トウ・ピャイン・カー・ヂョー・ミャインという新曲だった。
 このやたらと長い名前(未確認のため意味はまだ不明)の新曲 は、8月の大学卒業発表会のために、書き下ろされたばかりのホヤホヤなのだそうな。
 先生曰く、「発表会までには完璧に踊れるようになるよ。大丈夫、間に合う、間に合う」とのことだが、どうして私が発表会までにこの曲を踊れるようにならなければならないのだろう。
 まぁ、何だかんだと言っても新曲を習うのは楽しいので、疑問は取り敢えず擱いておくことにするが、さて、ミュー・チョア・トウ・ピャイン。これもカイン・パン・ゾンと同じく7分強の曲だが、前半はミンダミーが踊るパートなので実質は3分程度である。
 何の関係かは解らないが、今年は選挙があるため、大学の発表会の時間が短縮されるのだそうで、この曲は大学の卒業発表会史上、最も短いミンダー・アカとなるらしい。
 グループ・ダンスなのでフォーメーションが組まれており、その都合上、多少の変更はあるかも知れないが、振り付け自体は殆ど決まっているとのこと。
 今日、先生が連れて来た新顔のお兄ちゃんは、既に振り付けを覚えているようだった。発表会で踊る12人のミンダーの内の1人だそうで、2年生で発表会に出るくらいだから優秀なのだろう。
 ひょろひょろと背の高いお兄ちゃんは手足も長い。多少、長過ぎる感じがないでもないが、骨が細いのでゴツさはない。顔が小さくて目が大きいので、尖った顎が化粧をしても目立たないなら、結構、可愛いかも知れない。
 そして、気の良さそうなこのお兄ちゃん、最初から最後まで、ずっと私に付き合って踊ってくれていた。
 まるまる7分を踊るカイン・パン・ゾンよりは随分と楽だし、拍子も掴み易いが、新曲の習い始めはいつだって苦しい。なかなか動きが飲み込めず、何回も、何回も同じパートを繰り返したが、嫌な顔をするでもなく、律儀に一緒に踊ってくれた。
 休憩中に独りで振り付けを確認していても、目が合うと踊って見せてくれる。お兄ちゃん自身の練習にもなるとは思うが、1人で踊る私とは向きやパターンの違う箇所もあるだろうに、私と同じ振り付けで踊ってくれる親切さである。
 ふと、以前にもこんな親切なお兄ちゃんがいたなと思った。彼はあの時点で3年生と言っていたから、研修コースでなければ今年で卒業の筈である。
 ・・・・・・・あのお兄ちゃんも卒業発表会で踊るのかなぁ。
 コンテストで賞を取った事もあるというお兄ちゃんは踊りがとても巧かった。アヒル声だったので歌はどうだか知らないが、顔立ちは整っていたし、中肉中背でスタイルがミンダー向き。先生のお供の中では珍しく華のあるタイプで、おまけに親切だった。
 あれ以来、一度も会ってないので、ステージの上で見て判るかなぁと、根気強く練習に付き合ってくれているお兄ちゃんを横目に、薄情なオバサンは別のお兄ちゃんを懐かしんでいたのであった。  


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2015年07月28日

アミョーダミー・シィー・ミー・コェ

6月30日(火)

 Mさんは引き続き帰国中で今週までお休み。Cさんと私の二人での稽古だが、Cさんは何かと忙しいのだろう、今日もCDを忘れて来た。
 先生はCさんとMさんが揃ってからシィー・ミー・コェに入ると言っていたので、Mさんがいない間はカビャーロッをやりたかったようだ。
 カビャーロッのフレーム・ワークは終えているので、Cさんに必要なのは伴奏に合わせて踊れるようになることだが、肝心の伴奏がないのでは踊り込みは意味はなしと判断したのだろう(今日はアミョーダー・カビャーロッの伴奏を使おうとはしなかった)、前倒しでシィー・ミー・コェのフレーム・ワークを始めることになった。

 シィー・ミー・コェは神仏に供養を捧げる踊りである。感謝の意を表すようで、願い事をするために踊るナッ・アカとは意味合いが異なるらしい。
 シィー・ミー・コェは灯火を供養しているのだが、意義から言えば、花でも、果物でも、袈裟でも、香でも、何でも供養する品を持って踊れば良いのだそうな。まぁ、しかし、灯明皿の名の示す通り、本来は灯を点した小さな油皿を両手に持って踊る。危険なためか、有名なわりには簡単な振り付けだし、曲も短く、拍子もナジィーがメインでゆっくりしている。
 油皿では危険過ぎるので、最近の正調シィー・ミー・コェでは蝋燭を使うようだが、それでもまだ危険と判断される場合は電飾を使う。
 当然、私達のような素人が踊る場合は電飾を使うのだが、電飾は趣きには欠けるものの、派手で見栄えがする。これで振り付けは簡単、群舞にも向くのだから、シィー・ミー・コェは大変お得な曲である。
 踊ってみて知ったのだが、シィー・ミー・コェの振り付けには男女差がない。男女の踊り方の違いはあるので仕草に気を付ける必要はあるが、以前に習っているので、私は基本的にこの曲を踊ることが出来る。そして、私が踊れるからという訳では勿論ないと思うが、先生、何と1回でフレーム・ワークを終わらせてしまった。
 私が最初に習った時にはフレーム・ワークに2日を費やしたと思うのだが、カビャーロッの第一段が終わるか終わらないかなのに、Cさん、随分と飲み込みが早い。覚えの悪い私は、よくついて来られるものだと感心すること頻りである。
 先生も、「明日、もう一回踊れば、曲に合わせられるようになるよ」と上機嫌だった。
 非常に上機嫌だったのだが、Cさん、明日は仕事が入っていて来られない。ついでに来週も出張で来られないと言う。

 「・・・先生、Cさん、明日は仕事で来られないそうです」
 とてもじゃないが上機嫌な先生に、彼女は再来週も来られませんとは言えなかった。
 「なら、明日はアマも休んで。土日は来てあげるから」
 微妙な間を置いて、先生が答えた。

 ・・・・・・・あらららら。
 私は内心で溜め息を着いた。
 仕事なんだから仕方がないと解ってはいるのだろうが、先生の機嫌は急転直下である。
 CDを忘れたと言った時もそうだったが、意に添わない時の先生の機嫌は見事なまでの急直下を見せる。だが、何も言わない。態度も特に変わらない。
 Cさんがそれに気付いているかどうかは知らない。ストレスフルになるので、できれば気付かないでいて欲しいと思う。
 しかし、ストレスのあまり半ば精神を病みかけている私には、ひゅんっと、先生のテンションの下がる音が聞こえたような気さえしたのだった。
  


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2015年07月28日

カイン・パン・ゾン11

6月28日(日)

 終わった!終わった!悪夢のようだったカイン・パン・ゾンが終わった!
 今まで習った曲の中で、終了と言われてこれほど嬉しかった曲はない。
 正確には、嬉しかったと言うより、ホッとしたと言うべきだろうか。じわじわと涌き上がる安堵感に、この曲のプレッシャーがいかに大きかったのかを思い知らされた。
 「やっと曲が解って来たってとこかな?」だの、「時々は奇麗に落ちられるけど、まだまだ足りないねぇ」だの、今日も散々な言われようだったのだが、何度か踊ったところで、突然、「今日でカイン・パン・ゾンは終りね」と、終了宣言が下ったのである。
 大学の判定基準に照らし合わせれば、カイン・パン・ゾンは最初から3番まで、或は、4番から最後までを通して踊る事ができれば合格らしいのだが、私には通しで踊った記憶が殆どない。半分ずつは幾度か踊ったが、3分の2を踊った記憶すら乏しい。
 ひたすら拙い箇所を繰り返して練習していたような気がするが、あれは先生、仕上げのつもりだったのだろうか。

 カイン・パン・ゾンの落ちは難しくて、ニャン先生もびっくりというくらい、何度も何度も練習した。
 右向き、左足を後ろに上げたパン・ゾエから、左足を後ろに踏み降ろし、アヨウッ・レッで右足を上げて時計回りに左を向き、再び左足を後ろに上げてターン・ジャンプで正面を向き直り、左足を前へ踏み降ろし、軽くスキップを入れて落ちる。
 これを3拍で踊るタイミングも難しいのだが、それより、初回で足首と尻を痛めたせいで、怖くて思い切りがつかないのが問題だった。
 躍動感に欠けるのは自覚していたので、時々でも奇麗に落ちられているのなら、自分としては悪くない出来である。
 そして、落ちより更に酷いのがミンダー・ハン(王子様のポーズ)とアピェー・ハンの組み合わせだった。
 バディーダ・カ始まって以来、常に不動の鬼門として私を苦しめ続ける振り付けだが、最初はこれ、研修生達の振り付けと同じベー・ラン・ニャ・マウッだった。しかし、これが酷過ぎようで、即座に顎下に手を添えるミンダー・ハンに変更となったのである。
 私は本当にミンダー・ハンをまともに踊れたことがないのだが、ミンダー・ハンより酷いベー・ラン・ニャ・マウッとは、一体どこまで酷いのだろう。
 ワーダナーシンだったか、トォン・キッだったか、ミンダー・ハンは何かの拍子にコツを掴み掛けたような気がしたのに、暫く踊らないでいたら、また、元のレッウェイになってしまった。鏡を盗み見る度に洩れなく鳥肌の、何とも堪らないイタさだが、ベー・ラン・ニャ・マウッは幸いな事(?)に自分ではもう想像のつかない域に達しているので、恥ずかしさもなければ、思い悩む事すらない。
 アピェー・ハン自体は走る様を踊りにした型で、基本ポジションを保ったまま、足を入れ替えずに軽くスキップしながら前方向に進む。ミンダー版シャッセとでも呼ぶべきステップで、色々なポーズを組み合わせることができる。
 ミンダー・ハンと組み合わせた振り付けでは、顎の下に添えた手と前へ軽く伸ばした手とを交互に入れ替えながら進んで行く、可愛らしさをアピールした振り付けの筈なのに、私がこれを踊るとジャブ、ストレートの1・2パンチ、シャドー・ボクシングにしか見えない。イタいどころか恐い。
 「奇麗じゃない」と言われたって、そんなことは本人が一番よく解っている。「レッウェイじゃないんだから」と言われたって、どうすれば良いんだか解らないのである。そんなに言うならレッウェイに見えない踊り方を教えて貰いたいものだ。

 何はともあれ、終了したので愚痴も言えるが、カイン・パン・ゾンは辛かった、本当に色々と辛かった。
 「2ヶ月も掛かってる」と叱られたが、休みが多かったので(勿論、先生の都合で、である)期間は長いが今日で11回目。週数にして6週間弱、1ヶ月と1週間といったところである。最初の3回はアミョーダミー・カビャーロッとの混合練習だったので、実質は1ヶ月だと思う。
 大体、カイン・パン・ゾンは研修生の終了試験用の課題曲だ。今までの曲よりも難しい上に長い(7分強もある)。
 今までは3分くらいの曲に1ヶ月掛かっていたのだから、7分以上ある曲を1ヶ月で終えたのなら、通常の半分で終わった事にならないか。
 ・・・・・・・それって優秀じゃん?私って凄くね?
 くどいようだが、ただ踊れる事と巧く踊れる事とは全く違う。解ってはいるが、胃を壊すほど辛かったので、少しくらい浮かれても仕方ないと思う。
  


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2015年07月28日

カイン・パン・ゾン10

6月27日(土)

 何となく曲が掴めてきた。
 ・・・とは言っても、拍子が掴めたわけではなく、私には相変わらず、何をもってワッラッやナジィーを分けているのかが理解できないが、ある程度はジーン(擬音の一種。日本的には“ジャーン”か?)とかタウッ(曲調の切り替わる間を指す)に、反応できるようになってきた。
 曲調の変化で振り付けの切り替わりが判るようになったということで、要は、曲に慣れてきたのである。
 先週の段階で既に、(先生は信じてなかったようだが、)全ての振り付けを記憶できていたので、踊りが曲に合わせられるようになれば、後は踊り込みあるのみである。
 「スムーズに踊れるようになるには、もう2週間くらいは掛かりそうだね」と、前回、言われていた。「ただね、それも、アマがちゃんと振り付けを覚えられるかどうかに掛かってるけどね」とも。
 “振り付けは覚えたって言ってるやんけ”と、あの時は、先生に対しては相当に忍耐強い私も、流石にカチンと来たのだが、今日は飛躍的に踊れるようになっていて、先生のご機嫌は麗しい。私もドヤ顔をしていたに違いない。
 ただ踊れる事と、巧く踊れる事とは、全く違うレベルである。解ってはいても、散々叱られ、散々苦労しただけに、何とか踊れるようになったことが嬉しくて仕方なかった。先生の意外そうな顔が嬉しかったのである。
 落ち着いて思い出すと、何とも恥ずかしい限りなのだが・・・・・・・
  


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2015年07月28日

アミョーダミー・カビャーロッ(新)3

6月24日(水)

 先生、ネィピードゥから戻れず、昨日の稽古はキャンセルとなった。
 毎度の事だが、直前のキャンセルは全ての予定が狂う。極力、避けて頂きたいものだが、先生の事情はいつも特殊なようである。
 まぁ、でも、ネィピードゥから帰れるか帰れないかなんてことは、何も数時間前でなくったって判りそうなものだけれど・・・・・・・

 Mさんはビザの関係で一時帰国中なので、今日はCさんと二人でカビャーロッの続きである。
 Cさんが先生から借りたCDを持って来るのを忘れたので、アミョーダー・カビャーロッの伴奏で踊ってみることになった。
 ・・・・・・・踊り難い。
 先生は同じだと言うが、・・・そりゃあ確かに、カビャーロッはワッ・ラッで踊るものなので、男女ともに拍子は同じではあるが、出足のタイミングが違ったり、曲調が違ったりするし、何より、(以前、必死になって覚えた)タイトルに引き摺られるので、私にはかなり踊り難かった。
 結構無理な気がしたのだが、「ほらね、踊れるでしょ?」と得意気に言われ(その前は違うと叱られた)、ナシィン・ドワァ、ナシィン・ドワァ・アタイン、レッ・タッ・テッと、第1段の最後の3型が終了。
 第1段に1ヶ月と言っていた筈だが、3回で15型終了である。めっちゃ早い。
 終了と言ってもフレーム・ワークなのだし、1回の稽古に5型ずつ教わる予定になっていたので、数から言えばこんなものなのかも知れないが、Cさんの飲み込みが早いのは事実である。それに改めて思ったのだが、先生は本当に細部を教える事をしない。
 今でこそ、ちょっとしたコツなどを教えてくれるようになったが、私が習い始めの頃も、手の形、爪先の向き、身体の捻り方、そう言った細かな仕草は(見て盗めと言わんばかりで、こちらから訊かない限りは、)決して教えてはくれなかった。
 ただ、先生が細かいことを言わないのは同じなのに、私達の時はもう少し時間が掛かった気がする。
 私達の飲み込みが悪かったからなのか、それとも、伴奏に合わせて踊れるようになるまでには、まだまだ時間が掛かるのか。
 ただ、まぁ、アミョーダミー・カビャーロッ最大の難関、それは実は裾捌きである(少なくとも私はそう思っている)。Cさんはまだ、タミンを着けて踊ったわけではないので、静かに様子を見る事にしよう。
 タミンを着けて踊るストレスは、悲観的になる振り付けを覚えられないストレスや、絶望的になる拍子の掴めないストレスとは異なり、やたらとアグレッシブな感情を引き起こす。つまり、やたらと苛つくのである。
 先生曰く、Cさんの踊り方も私と同じで男っぽいと言う。彼女の健闘を祈ろう。  


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2015年07月28日

カイン・パン・ゾン9

6月17日(水)

 Mさん、体調不良もあるだろうし、気を遣ってくれたのもあるのだろうが、それよりも気分を害してしまったのだと思う。
 「Cさんもいないことだし、どうぞ、ミンダー・アカのお稽古をなさって下さい」と、本日は不参加。なので、今日の稽古もカイン・パン・ゾンである。
 「そう思ってたよ。見てたら解る。彼女、踊れる状態じゃなかったもの。ゆっくり休んだ方が良いよ」と、解ってた風な先生。
 「Mさん、やはり調子が悪いのでお休みだそうです」と告げた事に対する返事だが、根っからアーティスト気質の先生とは違い、小市民的性格(?)な私はやたらとMさんの心情が気になって、先生のように暢気ではいられない。

 「でも、丁度良かった。僕、今度の土・日はネィ・ピー・ドウ出張だから、カイン・パン・ゾン、進めておきたかったんだ」
 「・・・え、じゃあ、今度の土日は稽古なしなんですか?」
 「そう。だから今日は、進めるだけ進めちゃおう」
 「・・・はぁ」

 ・・・・・・・成る程ねぇ、それで昨日はあんなにも、やる気満々だった訳でなんすねぇ。
 解ってはいても、“それって、全部、自分の都合やん?”と、突っ込みたくなる私。ま、言えないけど。
 先生は先生なりに気を遣ってくれているのだと思う。だが、先生が気に病む事柄が私には理解できないし、私が気に病む事柄を先生も理解できないと思う。これまでも、そして、これからも多分、ずっと・・・・・・・
 思い通りになったからなのか、それとも、フレーミングが順調だったからなのか。理由は解らないがフレンドリー・アウン先生、何はともあれ、今日は始終ご機嫌好く稽古を終えたのだった。
  


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2015年07月27日

カイン・パン・ゾン8

6月16日(火)

 今日はCさんがお休み。遅れる事を心配したMさん、体調不良を押して参加するも、とても踊れそうには見えない状態である。
 そして先生はと言えば、突然、カイン・パン・ゾンの稽古を始めた。
 どういう訳だか知らないがやる気満々、完全にスイッチの入った状態で、Mさんに度々踊れるかと声は掛けるものの、遠慮したMさんが、「私は構わないので、そちらのお稽古、続けて下さい」と答えれば、「そうだよね。踊れないよね。調子の悪い時には踊らない方が良いよ」などと言って、延々とカイン・パン・ゾンの練習である。
 ・・・・・・・いやいやいや、彼女、来てるんですから。良い訳ないですから。大体、こんな状態で踊るかと訊かれても、イエスと言える日本人なんて、そうそうはいませんから。
 気が気でないのでMさんに、「本当に良いんですか?折角来たんだから少しは踊りませんか?」と訊いてみる。
 先生にも、「彼女、頑張って来たんですから、少しは教えて貰った方が良いと思うんですけど?」と言ってみたのだが、ここで止めを刺すかのように先生、再び、「ミャンマー・ダンスは具合が悪い時や、疲れてる時は踊らない方が良いよ。まともに踊れないし」などと仰るので、Mさん、完全ご遠慮モードになってしまった。
 そして先生には逆らえない私は、Mさんに申し訳ないと思いつつも、1人でカイン・パン・ゾンの練習を続けたのであった。
  


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