2015年05月10日
ミンダミー・アカ入門! アチェー・ガン編22
4月20日(月)
自信はあったがやはり、第四段最後の10型は奇麗さっぱり私の記憶から抜け落ちていた。勿論、その前の型も忘れている。水祭り中は家に篭っていたにも関わらず、確認も練習も何もしなかったので当然だ。自分で言うのも何だが最低である。
最初に第四段を通して踊ってみたが、型云々の前に、2週間で裾の捌き方を忘れたのか、それとも着付け方を忘れたのか、やたらと裾が足に絡まって動けない。→ タミンを直して踊ると多少はマシになったが、それでも殆ど踊れず、特に目に余る箇所を幾つか繰り返して練習する。→ OKが出て再び通しで踊ってみる。→ 先生が一緒に踊ってくれないと全く踊れないことが発覚。→ ウェイ先生、完全に呆れ顔となる。
「・・・・全部、忘れてるよね?」
「スマンやで(にっこり)」
半ば開き直りの私。何だかもう、アミョダミー・アカなんかどうでも好くなりそうな、ちょいとヤバい気分である。
「・・・ちゃんと踊ってね?」
「はぁーい」
「もっと腰を折る!首も倒す!」
「はぁーい」
「ダメダメ、もう一度。×××××(型の名称)から踊るよ。膝開いて!腰落として!」
(ウェイ先生に型の名称を教わったことはないが、彼が型の名称を使うことは多い。友人には解る筈もないので説明してあげたいのは山々だが、残念ながら私にもよく解らない。咄嗟に質問できるような余裕もなく、毎回、ほぼ素通り状態である。)
「ふぁーい」
「何やってるの?疲れてるの?」
「・・・う〜ん、・・・・いや、ただ、暑いからねぇ・・・・・・」
「エアコンなくって暑いけど、でも、今日は何か、特に疲れてるみたいだよ?」
「そうかな?今日は午前中、レッウェイに行ってたから、ちょっと大変だったかもね?」
「・・・どんだけやってんの・・・・」
ただでさえ呆れ顔のウェイ先生、苦笑に溜め息のフルコース。そして意味もなく、アハハと乾いた笑い声を漏らす私。
地道に型を覚え、体力気力を培い、格段の進歩を遂げつつある友人を見て、「随分らしくなってきたね」「踊れるようになって来た」とウェイ先生、とても嬉しそうである。 だが、 努力家の彼女とは逆に、回を追うごとに踊れなくなって行く怠惰な私のせいで、差し引きするとご機嫌はマイナスのようだ。
「じゃあ、最初からおさらいするよ。チェー・チェー・ガン(足の練習)からね」
第四段を何度か踊った後、先生が急に言った。
「解ってる?第四段終わったんだよ?型は終わってるんだからね?」
・・・・・・・えっ?はい?型が終わってる!?
驚きである。びっくりである。仰天である。型を教え終えたので、これからはおさらいに入ると言うのである。この調子なら稽古は4月で終わりだろう。
・・・・・・・前に五段まであるって言ってなかったっけ?伴奏のアナウンス、四段の続きが入ってなかったっけ?
今更後悔しても遅いのだが、アミョーダミー・アカ・チェー・ガン、殆ど何も身に着いてないと思う。 5ヶ月近くも習っていながら、これはもの凄く勿体ないような気がする。 ・・・いや、勿体ない気はするが、ミンダミー・アカを踊りたいとは思わないので、別に構わないような気もする。・・・いやいや、でもやっぱり、これじゃ、あんまりにも不毛じゃなかろうかという気もする。でも・・・・・・・
ミャンマー・ダンスの素養として、ミンダミー・アカもアチェー・ガンくらいは他人に説明できるようになりたいと思っていた。習い始めてからはミンダミー・アカを蔑視する気持ちも消えた。なのに、 どうしてもモティベーションが上がらなかった。
私はステレオタイプの“らしさ”というのが苦手である。あまりにも女らしい、男らしい、子供らしいといったような態度は媚態に見えて気持ちが悪い。滑稽に見えるし、社会的に作り出されたイメージを押し付けられているようで息苦しくもある。
ウェイ先生はミンダミー・アカの動画をたくさん見せてくれたけれど、踊りの技術を評価することはできても、女らしさを前面に押し出すミンダミーの踊り(特にナバァ・ドアー)は観ていてげんなりした。ミンダミーの過剰なまでの女らしさは、それを表現することが目的なのだから仕方がないのだが、それでも、ミンダミーは王女様なのだから、王女様らしさを表現すれば良いのにと思う。
大体、私はミンダミーの衣装が好きではない(ミンダミー衣装の3倍のコストが掛かるというだけあって、ミンダーの衣装は華やかで可愛い)。長い裾は鬱陶しいし(なけりゃないで見窄らしいのだが・・・・)、膝下までの白靴下も何だか貧乏臭い(王女様なのに靴を履いてないのも嫌だ)。
そして何より、ミンダミー・アカには私の愛する足技がない。飛び跳ねることも、落ちることもない(全くないわけではないが、地味なので面白くない)。全部が全部とは言わないが、ミンダミー・アカはウネウネとうねるばかりで苛つくのである。
・・・・と、一生懸命、ミンダミー・アカを嫌いな理由を挙げてやる気のなさを正当化しようとしているのだが、後悔先に立たずの感が拭えないのは何故だろう?
自信はあったがやはり、第四段最後の10型は奇麗さっぱり私の記憶から抜け落ちていた。勿論、その前の型も忘れている。水祭り中は家に篭っていたにも関わらず、確認も練習も何もしなかったので当然だ。自分で言うのも何だが最低である。
最初に第四段を通して踊ってみたが、型云々の前に、2週間で裾の捌き方を忘れたのか、それとも着付け方を忘れたのか、やたらと裾が足に絡まって動けない。→ タミンを直して踊ると多少はマシになったが、それでも殆ど踊れず、特に目に余る箇所を幾つか繰り返して練習する。→ OKが出て再び通しで踊ってみる。→ 先生が一緒に踊ってくれないと全く踊れないことが発覚。→ ウェイ先生、完全に呆れ顔となる。
「・・・・全部、忘れてるよね?」
「スマンやで(にっこり)」
半ば開き直りの私。何だかもう、アミョダミー・アカなんかどうでも好くなりそうな、ちょいとヤバい気分である。
「・・・ちゃんと踊ってね?」
「はぁーい」
「もっと腰を折る!首も倒す!」
「はぁーい」
「ダメダメ、もう一度。×××××(型の名称)から踊るよ。膝開いて!腰落として!」
(ウェイ先生に型の名称を教わったことはないが、彼が型の名称を使うことは多い。友人には解る筈もないので説明してあげたいのは山々だが、残念ながら私にもよく解らない。咄嗟に質問できるような余裕もなく、毎回、ほぼ素通り状態である。)
「ふぁーい」
「何やってるの?疲れてるの?」
「・・・う〜ん、・・・・いや、ただ、暑いからねぇ・・・・・・」
「エアコンなくって暑いけど、でも、今日は何か、特に疲れてるみたいだよ?」
「そうかな?今日は午前中、レッウェイに行ってたから、ちょっと大変だったかもね?」
「・・・どんだけやってんの・・・・」
ただでさえ呆れ顔のウェイ先生、苦笑に溜め息のフルコース。そして意味もなく、アハハと乾いた笑い声を漏らす私。
地道に型を覚え、体力気力を培い、格段の進歩を遂げつつある友人を見て、「随分らしくなってきたね」「踊れるようになって来た」とウェイ先生、とても嬉しそうである。 だが、 努力家の彼女とは逆に、回を追うごとに踊れなくなって行く怠惰な私のせいで、差し引きするとご機嫌はマイナスのようだ。
「じゃあ、最初からおさらいするよ。チェー・チェー・ガン(足の練習)からね」
第四段を何度か踊った後、先生が急に言った。
「解ってる?第四段終わったんだよ?型は終わってるんだからね?」
・・・・・・・えっ?はい?型が終わってる!?
驚きである。びっくりである。仰天である。型を教え終えたので、これからはおさらいに入ると言うのである。この調子なら稽古は4月で終わりだろう。
・・・・・・・前に五段まであるって言ってなかったっけ?伴奏のアナウンス、四段の続きが入ってなかったっけ?
今更後悔しても遅いのだが、アミョーダミー・アカ・チェー・ガン、殆ど何も身に着いてないと思う。 5ヶ月近くも習っていながら、これはもの凄く勿体ないような気がする。 ・・・いや、勿体ない気はするが、ミンダミー・アカを踊りたいとは思わないので、別に構わないような気もする。・・・いやいや、でもやっぱり、これじゃ、あんまりにも不毛じゃなかろうかという気もする。でも・・・・・・・
ミャンマー・ダンスの素養として、ミンダミー・アカもアチェー・ガンくらいは他人に説明できるようになりたいと思っていた。習い始めてからはミンダミー・アカを蔑視する気持ちも消えた。なのに、 どうしてもモティベーションが上がらなかった。
私はステレオタイプの“らしさ”というのが苦手である。あまりにも女らしい、男らしい、子供らしいといったような態度は媚態に見えて気持ちが悪い。滑稽に見えるし、社会的に作り出されたイメージを押し付けられているようで息苦しくもある。
ウェイ先生はミンダミー・アカの動画をたくさん見せてくれたけれど、踊りの技術を評価することはできても、女らしさを前面に押し出すミンダミーの踊り(特にナバァ・ドアー)は観ていてげんなりした。ミンダミーの過剰なまでの女らしさは、それを表現することが目的なのだから仕方がないのだが、それでも、ミンダミーは王女様なのだから、王女様らしさを表現すれば良いのにと思う。
大体、私はミンダミーの衣装が好きではない(ミンダミー衣装の3倍のコストが掛かるというだけあって、ミンダーの衣装は華やかで可愛い)。長い裾は鬱陶しいし(なけりゃないで見窄らしいのだが・・・・)、膝下までの白靴下も何だか貧乏臭い(王女様なのに靴を履いてないのも嫌だ)。
そして何より、ミンダミー・アカには私の愛する足技がない。飛び跳ねることも、落ちることもない(全くないわけではないが、地味なので面白くない)。全部が全部とは言わないが、ミンダミー・アカはウネウネとうねるばかりで苛つくのである。
・・・・と、一生懸命、ミンダミー・アカを嫌いな理由を挙げてやる気のなさを正当化しようとしているのだが、後悔先に立たずの感が拭えないのは何故だろう?
Posted by ASU at
13:04
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2015年05月10日
ミンダミー・アカ入門! アチェー・ガン編21
4月10日(金)
ウェイ先生達のバゴー10日間公演のため、2回休みが入り、約2週間ぶりの稽古である。
バゴーのポエは5座が一堂に会して10日間の興行でそれぞれに芸を競うという、タ・ニィンのポエよりも更に盛大なイベントで、ポー・チッの一座は御大のポー・チッとは別に若手も独自に小屋を掛けていた。
ウェイ先生達はこの若手のグループで公演に出ると言うので、御大と若手の両方を観に行きたかったのだが、これは“ザッ・ポエ鑑賞は1公演期間につき1回”という夫婦間協定に抵触する。ちょっと悩んだが結局、友人の都合がつかなかったので、1回だけ観に行くことにした。
1回しか行けないのならウェイ先生達のステージを応援してあげようと(若手チェックは目下、私の最重要課題でもある)、公演二日目を観に行こうと思っていると相談したところ、ウェイ先生、「公演の最初の方はあまり好くないだろうから、最後の方に来たら?」と仰る。それは日程的に無理なのでと答えると、ならば御大のステージを観に行けと言われた。
・・・・・・・なんで???
私達の頭の中は疑問符で埋め尽くされたが、ウェイ先生はお構いなしにポー・チッのステージを観に行く手筈を整えてくれた。
結果的にその日のポー・チッはなかなかの好演で観に行って良かったのだが、カラウェイとバゴー・ポエ、二足の草鞋の先生達は絶賛(?)ご多忙中で稽古はお休みとなり、長い休みが明けての本日と相成ったわけである。
私のシナプス回路からは当然の如く前回、前々回の稽古内容に関する情報が抜け落ちている。必死で記憶の糸を手繰ってみたのだが、何一つとして引っ掛かるものがない。
まるで覚えのない動作に、「こんなのやりましたぁ?」と尋ねると、毎日動画を確認しているという優等生の友人は、瞳に憐憫の色を浮かべ、無言で大きく頷いた。
・・・・・・・やっぱ、やったのか。
あまりの踊れなさに、流石に“これはマズいかも”と焦りを感じたのであるが、決して気が長いようには見えないウェイ先生、数度前回までの型を練習するとさっさっと次へと移ってしまった。
さらに、「今日は10型やるよ。ストゥータ・シン(第四段)を終わらせるからね」と、おもむろに第四段終了宣言である。
第四段は全35型。前回は8つ、前々回は7つと進んだのだが、今日は10ときたもんだ。私達には一回で進む量としては多過ぎるような気がするが、ウェイ先生はこのところ、1回に7、8、9つと進まないと、「今日はまだ4つしか終わってない!」とご機嫌が荒れ模様になる。
「だんだん型も難しくなって来てるから、自分でも頑張ってよ。集中してね」と容赦なく檄が飛んだが、内容が難しくなってるのに進行速度を早めるってのはどんなものだろう?と思わないでもない。私は腐っているが友人は頑張っているのだ。しかし、 よく考えてみると、私には「何やってんの?」「忘れたの?」と突っ込みを入れる先生も、友人には「解った?」「覚えた?」などと訊くくらいである。意外にも人を見ているらしい。
友人のように真面目に取り組むべきだとは思う。思うのだが、自宅でミンダー・アカを踊る気力・体力すらないのに、ミンダミー・アカなんてもっと無理だとも思う。
来週は水祭りでまたしても稽古が休みになる。水祭り中は自宅でゴロゴロする予定だが、私がミンダミー・アカの練習をすることはないだろうなぁ、多分。
ウェイ先生達のバゴー10日間公演のため、2回休みが入り、約2週間ぶりの稽古である。
バゴーのポエは5座が一堂に会して10日間の興行でそれぞれに芸を競うという、タ・ニィンのポエよりも更に盛大なイベントで、ポー・チッの一座は御大のポー・チッとは別に若手も独自に小屋を掛けていた。
ウェイ先生達はこの若手のグループで公演に出ると言うので、御大と若手の両方を観に行きたかったのだが、これは“ザッ・ポエ鑑賞は1公演期間につき1回”という夫婦間協定に抵触する。ちょっと悩んだが結局、友人の都合がつかなかったので、1回だけ観に行くことにした。
1回しか行けないのならウェイ先生達のステージを応援してあげようと(若手チェックは目下、私の最重要課題でもある)、公演二日目を観に行こうと思っていると相談したところ、ウェイ先生、「公演の最初の方はあまり好くないだろうから、最後の方に来たら?」と仰る。それは日程的に無理なのでと答えると、ならば御大のステージを観に行けと言われた。
・・・・・・・なんで???
私達の頭の中は疑問符で埋め尽くされたが、ウェイ先生はお構いなしにポー・チッのステージを観に行く手筈を整えてくれた。
結果的にその日のポー・チッはなかなかの好演で観に行って良かったのだが、カラウェイとバゴー・ポエ、二足の草鞋の先生達は絶賛(?)ご多忙中で稽古はお休みとなり、長い休みが明けての本日と相成ったわけである。
私のシナプス回路からは当然の如く前回、前々回の稽古内容に関する情報が抜け落ちている。必死で記憶の糸を手繰ってみたのだが、何一つとして引っ掛かるものがない。
まるで覚えのない動作に、「こんなのやりましたぁ?」と尋ねると、毎日動画を確認しているという優等生の友人は、瞳に憐憫の色を浮かべ、無言で大きく頷いた。
・・・・・・・やっぱ、やったのか。
あまりの踊れなさに、流石に“これはマズいかも”と焦りを感じたのであるが、決して気が長いようには見えないウェイ先生、数度前回までの型を練習するとさっさっと次へと移ってしまった。
さらに、「今日は10型やるよ。ストゥータ・シン(第四段)を終わらせるからね」と、おもむろに第四段終了宣言である。
第四段は全35型。前回は8つ、前々回は7つと進んだのだが、今日は10ときたもんだ。私達には一回で進む量としては多過ぎるような気がするが、ウェイ先生はこのところ、1回に7、8、9つと進まないと、「今日はまだ4つしか終わってない!」とご機嫌が荒れ模様になる。
「だんだん型も難しくなって来てるから、自分でも頑張ってよ。集中してね」と容赦なく檄が飛んだが、内容が難しくなってるのに進行速度を早めるってのはどんなものだろう?と思わないでもない。私は腐っているが友人は頑張っているのだ。しかし、 よく考えてみると、私には「何やってんの?」「忘れたの?」と突っ込みを入れる先生も、友人には「解った?」「覚えた?」などと訊くくらいである。意外にも人を見ているらしい。
友人のように真面目に取り組むべきだとは思う。思うのだが、自宅でミンダー・アカを踊る気力・体力すらないのに、ミンダミー・アカなんてもっと無理だとも思う。
来週は水祭りでまたしても稽古が休みになる。水祭り中は自宅でゴロゴロする予定だが、私がミンダミー・アカの練習をすることはないだろうなぁ、多分。
Posted by ASU at
12:57
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2015年05月10日
ミンダミー・アカ入門! アチェー・ガン編12~20
2月6日(金)・9日(月)・20日(金)・3月2日(月)・6日(金)・9日(月)・23日(月)・27日(金)、30日(月)
ミンダミー・アカの稽古日誌が書けないまま、気が付けば2ヶ月近くが経っていた。
この間に何をしていたかと言えば、タ・ニィンにポー・チッのステージを観に行ったり、カラウェイにウェイ先生達のステージを観に行ったり、芸術高等学校の卒業発表会に連れて行ってもらったり、バゴーのポー・チッのステージを観に行ったりと、まぁ(ステージを観に行ってばかりで要は遊んでいたのだが)、色々と忙しかったのである。
他にも、ゾウ先生のステージを観に行ったし、旅行にも行ったが (やっぱり遊ぶことばっかり)、上に挙げたのはウェイ先生絡みの行事である。
ポー・チッ一座の別働隊を率いているだけのことはあって、ウェイ先生は(かなり行き当たりばったりだが)親分肌で面倒見が良い。私達の世話も何くれとなく焼いてくれていて誠に有り難い次第である。
さて、肝心のアチェー・ガンだが、稽古回数が既に20回を超え、今現在は第四段を練習中。諸事情により休みは多いが、基本、週2日のペースを保っている。
週2日だし(当初は週3日と言われた)、休みも多いので仕方ないのかも知れないが、昨年末にアチェー・ガンを始めてから実に4ヶ月も経っていて、 ベーシック・コース約2ヶ月の契約内容で稽古料一括先払いした私達としては、採算が合っているのかと余計な心配をしてしまう。
このところのマキマキ・モードで第四段もじきに終わりそうだが、アミョーダミー・アカのアチェー・ガンは一体どれだけあるのだろう。
大学で教えるアミョーダー・アカのカビャー・ロッは全4段69型だが、ミンダミー・アカのアチェー・ガンはそれより多かった筈だ。ウェイ先生達の芸術高等学校仕様では、アミョーダー・アカのベーシックは第五段まであるらしいので、アミョーダミー・アカの方はもっと多いことだろう。
ウェイ先生はアチェー・ガンについての説明や補足などは一切しないので、私は未だに基礎体系も型の数も名称も知らないままである。
アウン先生は 新しい曲を習う度に音楽をCDに落としてくれるし、私がノート持参で稽古内容を確認するほど熱心な生徒だったせいもあるが、カビャー・ロッのときは段落毎に型の名称をプリントしてくれた。
元々が説明好きらしいアウン先生は(時にうんざりするほど丁寧に)踊りに関することを、歴史や慣習まで含めて色々と話してくれるが、ウェイ先生はお喋り好きではあっても説明好きではないらしい。型の名称くらい教えてくれても好いのにと思わないでもないが、これは単に私の愚痴、言い訳である。
要はやる気の問題で、その気があれば尋ねれば好いのだし、友人が毎回録画しているお手本動画から名称を聞き取ったって好い(アチェー・ガンの伴奏には型名称のアナウンスも録音されている)。だが私は、このままでは稽古について行けなくなりそうと友人にお手本動画をコピーさせておきながら、一度も観ていないというフトドキモノ。ミンダミー・アカに関しては残念ながらそこまでの情熱も湧かず、すべてが成り行き任せである。
第四段ともなると流石に型も難しくなり、 ウェイ先生から始終、「何やってんの?」「忘れちゃったの?」と突っ込みが入る今日この頃。何やってるも何も、ご覧の通り、左右が混乱するのでスムーズに動けない、タミンの裾がこんがらがるので満足に動けない、型を忘れているので当然動けないと、三重苦にジタバタしているのだ。
踊れない一番の理由は型を忘れるからだが、これ、正確に言えば、忘れているというより最初から覚えていないと言うのが正しい。中途半端に知識があるため、最初のうちは見様見真似でも踊れていたが、型が難しくなるに従って動作について行けなくなっただけの話である。
おまけにやる気のない脳を甘やかすように休みが入るので、最近では毎回のように記憶が消し飛んでいて、「あれ?こんなのやったっけ?」と呟いては、「・・・・やったよ」と呆れられている。
習ったときにはそれなりに踊れていたはずなのだが(そうでなければ次の型には進めない)、その偉大な私は一体どこへ行ってしまったのだろう。不思議だ。狐に撮まれたような気分だ。
ミンダミー・アカの稽古日誌が書けないまま、気が付けば2ヶ月近くが経っていた。
この間に何をしていたかと言えば、タ・ニィンにポー・チッのステージを観に行ったり、カラウェイにウェイ先生達のステージを観に行ったり、芸術高等学校の卒業発表会に連れて行ってもらったり、バゴーのポー・チッのステージを観に行ったりと、まぁ(ステージを観に行ってばかりで要は遊んでいたのだが)、色々と忙しかったのである。
他にも、ゾウ先生のステージを観に行ったし、旅行にも行ったが (やっぱり遊ぶことばっかり)、上に挙げたのはウェイ先生絡みの行事である。
ポー・チッ一座の別働隊を率いているだけのことはあって、ウェイ先生は(かなり行き当たりばったりだが)親分肌で面倒見が良い。私達の世話も何くれとなく焼いてくれていて誠に有り難い次第である。
さて、肝心のアチェー・ガンだが、稽古回数が既に20回を超え、今現在は第四段を練習中。諸事情により休みは多いが、基本、週2日のペースを保っている。
週2日だし(当初は週3日と言われた)、休みも多いので仕方ないのかも知れないが、昨年末にアチェー・ガンを始めてから実に4ヶ月も経っていて、 ベーシック・コース約2ヶ月の契約内容で稽古料一括先払いした私達としては、採算が合っているのかと余計な心配をしてしまう。
このところのマキマキ・モードで第四段もじきに終わりそうだが、アミョーダミー・アカのアチェー・ガンは一体どれだけあるのだろう。
大学で教えるアミョーダー・アカのカビャー・ロッは全4段69型だが、ミンダミー・アカのアチェー・ガンはそれより多かった筈だ。ウェイ先生達の芸術高等学校仕様では、アミョーダー・アカのベーシックは第五段まであるらしいので、アミョーダミー・アカの方はもっと多いことだろう。
ウェイ先生はアチェー・ガンについての説明や補足などは一切しないので、私は未だに基礎体系も型の数も名称も知らないままである。
アウン先生は 新しい曲を習う度に音楽をCDに落としてくれるし、私がノート持参で稽古内容を確認するほど熱心な生徒だったせいもあるが、カビャー・ロッのときは段落毎に型の名称をプリントしてくれた。
元々が説明好きらしいアウン先生は(時にうんざりするほど丁寧に)踊りに関することを、歴史や慣習まで含めて色々と話してくれるが、ウェイ先生はお喋り好きではあっても説明好きではないらしい。型の名称くらい教えてくれても好いのにと思わないでもないが、これは単に私の愚痴、言い訳である。
要はやる気の問題で、その気があれば尋ねれば好いのだし、友人が毎回録画しているお手本動画から名称を聞き取ったって好い(アチェー・ガンの伴奏には型名称のアナウンスも録音されている)。だが私は、このままでは稽古について行けなくなりそうと友人にお手本動画をコピーさせておきながら、一度も観ていないというフトドキモノ。ミンダミー・アカに関しては残念ながらそこまでの情熱も湧かず、すべてが成り行き任せである。
第四段ともなると流石に型も難しくなり、 ウェイ先生から始終、「何やってんの?」「忘れちゃったの?」と突っ込みが入る今日この頃。何やってるも何も、ご覧の通り、左右が混乱するのでスムーズに動けない、タミンの裾がこんがらがるので満足に動けない、型を忘れているので当然動けないと、三重苦にジタバタしているのだ。
踊れない一番の理由は型を忘れるからだが、これ、正確に言えば、忘れているというより最初から覚えていないと言うのが正しい。中途半端に知識があるため、最初のうちは見様見真似でも踊れていたが、型が難しくなるに従って動作について行けなくなっただけの話である。
おまけにやる気のない脳を甘やかすように休みが入るので、最近では毎回のように記憶が消し飛んでいて、「あれ?こんなのやったっけ?」と呟いては、「・・・・やったよ」と呆れられている。
習ったときにはそれなりに踊れていたはずなのだが(そうでなければ次の型には進めない)、その偉大な私は一体どこへ行ってしまったのだろう。不思議だ。狐に撮まれたような気分だ。
Posted by ASU at
12:55
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